東方幻想今日紀 百十三話  祭りの終わりは肌寒くて

命蓮寺にたどり着き錠を開けると、案の定誰もいなかった。
閑散としていて、寒々としていて。それでいて広くて。


そびえ立つ鐘は、重々しくぶら下がっていた。



どこか、いつもの命蓮寺じゃない気もする。



あの後、俺は屋台の方で皆に経緯を一通り話した後、
心配する皆をなだめすかして一人で帰路に着いたのだ。



広間に寝息を立てている野孤を連れ込み、
布団を二枚重ねに敷き、彼女を寝かせた。

しかし、そんな中でも時折うなされる様にしていたり、
何かにおびえているような様子を見せた。
唇も手も、依然震えていて、時々口から鮮血も滴っていた。

その度に彼女は見ていられないほどつらい表情をするのだ。
髪を梳くように頭を撫でてやると、
少しだけ落ち着いた様子でまた寝息を立てる。


・・・そんな彼女に、してやれる事は今の所、何もなかった。
強いて言うのなら、そばにいてあげるくらいだろうか。


彼女は、両親を亡くしている。


いや、両親を亡くしていると言ったら語弊があるだろう。
彼女が亡くしたのは母親だ。


・・・そう、あの馬鹿な小春が何もしなければ、
彼女が言葉を失うことも無かったのだろうに。


小春が文明開化の手順だので彼女の父親を転送してしまったのだ。
そして、刻印がその引き金となった。
それを永遠の別れと・・・蒸発と解釈した彼女は、
最愛の父親を失ったと思ったのだ。

そして、彼女はショックで言葉を発することが出来なくなった。
無理も無い話だ。

彼女は物心つく前に母親を亡くし、父親の手一つで育った子なのだ。
その最愛の父親を亡くした。そう思えば、言葉が発せなくなるのも仕方ない。


彼女の父親はあと半年もしないと再転送されないらしいのだ。



やっと最近、彼女の持ち前の明るさを取り戻してきたのに・・・。
喋れなくても、笑顔が彼女にはあった。

・・・そんな笑顔が奪われてしまった。


俺は震える小さな手を、そっと握り込んだ。
小さな手のぶるぶるが、はっきりと手に伝わってくる。




「たすけて」



そう聞こえてくるのだ。



彼女は何も悪くない。
彼女は何もしていない。


どうして、こんなひどい目に遭わなくてはならないのだろうか・・・?
誰が彼女をこんな目に遭わせたんだろうか・・・?


冷静に考えてみよう。


・・・彼女の顔にはおびただしいほどの水銀がついていた。
症状も、急性水銀中毒で間違いはない。

・・・でも、原因は何だ?

通り魔か?



だとしたら、ちょっと変な気もする。

野孤は紺色の着物を着ている。狙われていたのは赤い着物のみ。
襲われた者は、皆刺し傷を負っていた。野孤にはない。

おまけに、致命傷になった者は誰もいないという。



・・・じゃあ、どうして?


『銀色の蛾と言ってたのう。恐らくそれでは・・・』
「うわっ!?深水!?」


突如、頭に響くようにして流れた声の信号。
声のようで、声ではないそれは、紛れもなく深水のそれだった。

この声は、他人には聞こえない。


・・・しかし。

「いつから起きてたの?祭りが終わるまで寝てると言ったでしょ。」

『祭りは今日で終わりと聞いていたのじゃが・・・
 お主が此奴を抱き上げて連れてきたあたりからじゃろうか・・・。
 話を聞いていてそれではあるまいかと思った次第で・・・』


群がる大きな銀色の蛾・・・。



「・・・それだっ!」
「・・・!?」

大きな声で叫ぶと、小さな体をビクンと震わせて野孤が目を覚ました。
眠たげで途轍もなくだるそうな薄目を開けて。


・・・やってしまった。


「・・・あ、ごめんね、大声を出して・・・。」
俺が頭を撫でてそんな事を言うと、彼女はまた眠りに落ちた。
依然、手と唇は震えている。


・・・でも、これで分かった。
銀色の蛾は、大量の水銀を抱えている。

あの蛾は危険だ。ののは大量の蛾に襲われたと言っていたが、
もしあれが群れで襲うとしたら・・・かなり危険だ。

でも、生体が急性中毒を起こすほどの水銀を持つという話は、
今までに一度も聞いたことが無い。

強いて言うのなら、海の生き物が食物連鎖によって
大型の生物ほど高い水銀が残るという話ぐらいだ。

・・・だとしたら、大きさも含めて突然変異だろうか・・・。



『女子を驚かすとはのう・・・ところで、その女子は誰じゃ?』

あきれた様につぶやくように言葉を投げる頭の声。


・・・そっか、深水は知らなかったのか。
思考を戻して、俺は彼女に視線を送った。


「俺の教え子。」
『そうか・・・。』


そっけないやり取り。
深水もその様子を察してそれ以上は問わない。
正直、あまり彼女の状況を説明したくは無いのだ。


しばしの沈黙が続く。



「ねえ、深水。言いたいことがあるんだ。」
『何じゃ?』


そんな沈黙を破るようにして、
俺はずっと心に引っかかっていたことを切り出した。

・・・そう、お礼を言わなきゃいけなかったのだ。


「あのさ、深水が眠っていたおかげで、丙さんの旧友を殺さずに済んだんだ。」
『状況の想像に難くて困るのじゃが・・・どういう事ぞ?』


・・・確かに、いきなりそんな事を言われても意味が分からないか。

俺はこれまでの経緯をかいつまんで話した。


「・・・で、結果的に丙さんは友達に会うことができて・・・」

『一つ問おう。いつから人の心を失った?』

「・・・えっ?」

深水が話している途中で遮ってきた。
そればかりか、全く予想も付かない事を尋ねてきた。


自分の体が一瞬で強張るのを感じた。


深水の質問の意味がまったく分からなかった。


『・・・教師失格と言っているのは分かっておるか?』
「・・・!」


頭の中で、この上なく嫌な言葉が響き渡る。
反響して、何倍にも広がって、頭の中を打ちつけている。



『・・・まあ、言い過ぎたか。
 じゃが、お主の話を聞いていると不安で仕方が無いのじゃ。
 あの時、ナズーリンと一緒に逃げる選択肢は無かったのかの?
 それとも、話し合いで解決する余地は無かったのかの?
 ・・・いつから、儂を護身用ではなく、攻撃用として使い出したのじゃ?』

「う・・・。」


聞いていて耳が痛かった。
全部、深水の言うとおりだった。

その気になればナズーリンを連れて逃げられたかもしれない。
話し合いだって、出来たかもしれない。
事実、彼女が話し合いの姿勢を見せなければ戦闘に入っていただろう。

とどのつまり、彼女を守るという大義名分を掲げて・・・



本当に、教師失格だな・・・。
祭りの最初に深水が言ってた事も完全に失念してたし・・・。



「んっ・・・ぅう・・・。」


「・・・。」



ふと、小さな声でうなされている狐の子に目をやった。
細い眉の間は細かいしわがよっていた。


・・・野孤だって小春の助言が無かったらここに連れて来れなかったし。
今もこうして、苦しそうにうなされていて・・・。

俺ってば本当に教師として、何も出来ないんだな・・・。



「・・・ん?」


自己嫌悪に陥っていると、急に彼女の顔が緩んだ。
そして、すっと寝てしまった。

手を見ても、ほとんど震えていない。
顔色も幾分良くなったかのように見える。


どうしてだろうか。


そんな疑問は、まもなく氷解した。



「お晩でやす。彼我さんですよー。」

「何か嫌なことでもあったんですか?」


笑顔で手を振って、何も無いところから沸くようにして現れた彼我さん。
この人は毎回いきなり現れる上に、発言に裏がありそうで怖い。


「・・・心外ですね。厳しい話をしていた様なので、
 気分を和ませてあげようとしただけですよ。」


軽く腕を組んで軽く怒ったようなふりをする彼我さん。
まさか・・・


「深水の話、聞こえているんですか?」

「いいえ。ですが、あなたの考えていることから
 何を話しているかくらいはわかりますよ。」


そっか、筒抜けだったねそういえば・・・。
ああ、やだやだ。何考えているかを見透かされているなんて・・・。
特に一人で物思いにふけっている時なんか最悪だ。


まあ、いい人だから別にいいんだけど・・。


「ところで、どうやって野孤を治したんですか?」
「いい夢を上書きしただけです。私はそんなこと出来ません。」


なるほど・・・いい夢を見せれば一時的によくなるのか・・・。
彼我さんの能力って、使い勝手がいいなあ・・・。



『リア、その方もよく知らぬのじゃが・・・』
「ああ、彼我さんね。そういえば会うのは初めてだっけ?」


頭の中の声が尋ねてくる。
深水の声は彼我さんには聞こえないから・・・というより、
そもそも彼我さん自身が滅多に姿を現さないから仕方ないかもしれない。


『・・・うむ。面倒だからお主の体を借りるぞ。』
「は?」


その瞬間、頭の中に閃光が奔る。
そして、わずかな間を残して元の景色に戻る。


「・・・よし、彼我とやら。お初にお目にかかる。」
「あれ・・・リアさん?」


彼我さんが激しく困惑した様子を見せる。
無理も無いだろう。どう考えても、
いきなり俺が口調を変えただけにしか見えないのだから。

それにしても、彼我さんが困惑するところなんて、
生きている間にあと何回見れるんだろうか。


『深水、自己紹介!自己紹介!』


俺が声を張って叫ぶ。
もちろんそうしても、俺の口は一切開くことは無い。


「おお、そうじゃったな。儂は深水光。
 リアの口を借りているが、刀がそれじゃ。」
 
「そうだったのですか。初めまして、深水さん。」


恭しく頭を下げる俺の体と彼我さん。
その様子はなんだか、お見合いみたいに思えておかしかった。


・・・ところで、彼我さんが現れる時は何か用があるときだ。
もちろん、俺が呼んでも大抵現れない。

用事はいろいろ。

何か言わなければいけない時とか。
交渉をしたいときとか。
情報を聞きたいときとか。
暇なときとか。


一度、命蓮さんと将棋をやっているときに、
眠りに引きずりこまれて将棋を頼まれたときは殴ってやろうかと思った。



でも、こちらからの質問には基本的に答えないので、
言い出すのを待つのが賢明だ。


今回はなんだろうか・・・。


「・・・さて、今回話したいことは他でもありません。」
「・・・ふむ。」


きたきた。何を言い出すんだろうか。
ここで何でもありませんとか言い出したら斬ってやれ深水。


そのときだった。


「・・・いたいたっ!ちょっと布団出してくれる!?」


急に広間の障子を激しく開け放して、
あわただしく着物のムラサさんが飛び込んできた。


「・・・どうしたんじゃっ!?」
「丙が大変なのっ!とにかく早くっ!!」


『えっ・・・丙さんが!?深水、その押入れにあるから
 早く布団を出して敷いてあげてっ!!』


村紗さんの形相と迫力に気圧された深水は
あたふたしながら指定した場所の布団を出して広げた。


・・・丙さんは旧友と一緒にお祭りを楽しんでいたはずじゃ・・・?



冷や汗が止まらなかった。




つづけ