東方幻想今日紀 百十二話  アマル蛾ムの恐怖にさらされて

「・・・ちょっといいですかっ・・・!」
「秋兄、そんな掻き分けんなよ!すみません、すみませんっ!」


俺が人ごみを掻き分けているよそで、小春は頭を下げながら必死で謝っていた。
無理もない。自分自身、そんな迷惑な事はよっぽどのことが無い限りしない。


・・・でも、頭ではわかっていても、人だかりの中心に行かなくてはならない。
そんな衝動に突き動かされていた。

さっきから、頭の中でやかましく警鐘が鳴り響いている。
どうしても、どうしてもあの中心にいかなければならない。


まるで自分の意思で動いていないような気さえした。


・・・そして、嫌な予感は思い通りの形で目の前に現れた。




人の円の中心には、赤い着物を着た少女が力なく倒れていた。
ピンク色の髪の毛。今はしおれている頭の上のふわふわの耳。


「・・・野狐っ!?野孤っ!!」


俺は彼女を反射で抱き上げた。
周りのどよめきなんか、今は心の底からどうでもよかった。


守らなきゃいけない存在がそこにいるのだから。



そのちいさな口からはおびただしい量の血が噴きこぼれていた。

体温はまだあった。瞳孔もしっかり開いていて、
瞬きもしっかりしている。焦点も合っている。


・・・よし。


「小春っ!俺は安全な場所に行ってくるっ!!
 しばらくしたら戻ると伝えておいてくれっ!」

俺は彼女に向かって大声で叫んだ。
足はもう上下に動いていて、空いた左手は雑踏を掻き分けていた。



「おいっ、秋兄っ!?ちょっと待っ・・・」



後ろの方で小春が叫ぶ声が聞こえる。
でも、そんなの気に留めていられなかった。


ただひたすら彼女を抱えて走っていた。
どこか安全な場所、人の少ない場所で休ませたかった。



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「・・・もう、大丈夫だからね。」


祭りの場所から少し離れた場所、木の植え込みの近くに彼女を座らせた。
野孤は軽く目を細めた。


彼女は小春のせいで、今はまだ喋れない。


でも、表情で言わんとしていることは伝わってくる。


・・・よく見ると、野孤の白い小さな手は小刻みに震えていた。
唇も震えていて、顔色も良くなかった。


「これは・・・?」


顔には、細かい銀色の粉がかかっていた。
軽く払いのけると、銀色の粉はまとまって丸くなり、彼女の顔を伝って落ちた。


「あっ・・・!?」



・・・その様子を見て確信した。これは水銀だ。


ということは野孤は急性水銀中毒か・・・。
でも、いったいどうして・・・?

戸惑っていると、突然人の気配が後ろでした。
振り返ると、小春の姿がそこにあった。


「小春っ!戻ってろと言ったはずじゃ・・・」
「うるせえ!そんなのお前の勝手な思い込みだろっ!?」

俺の言葉を遮って激怒しながら一喝する小春。
その強い語勢に思わずひるんでしまった。

「だいたいお前はなあ・・・いつも勝手すぎるんだよ!
 毎回なんでも一人で行動して痛い目に遭って・・・!
 今回だって連れ込んでどうするつもりだったんだよ!?
 その後の事なんて特に考えもしなかっただろ?」

「はい・・・ごめんなさい・・・。」


自分にくどくどと説教をされるというなんとも珍しい状況に遭遇した。
考えてみれば、全部小春の言うとおりだった。
野孤を連れ出したのも、考えなしの行動だった。

・・・それが妙に癪に障るけど、仕方ない。


「・・・お前は少しは人に頼れよな・・・。 
 お前の力じゃ限界があるだろ。頼れよ。
 俺は、いつでもお前の力になるからよ。
 ・・・今ののを呼んでおいた。その内来るだろう。」


・・・なんだかんだで、小春も心配してくれてたとは・・・。
何だか、少し気恥ずかしくなってきた。

・・・あれ、ここで言葉の端に疑問が・・・。




「そっか・・・って、どうやって呼んだの?」


そんなふとした疑問を彼女にぶつける。


「ああ、奴の体内に端末を埋め込んであるから簡単だ。」
「ごめん。訊かなきゃよかった。」


その回答がドン引きものだった。
なんて事してんだよ・・・。
いや、機械だからいいのか・・・?


・・・まあ、何にせよ・・・


「よかったね野孤、これから心強い味方がくるよ!」


笑顔で寝ている彼女に話し掛ける。
野孤は小さな口をほころばせて微笑んだ。



その瞬間だった。



「・・・っと、ここにいましたか。
 狐妖怪が連れ去られたと聞いたので探しては見たのですが・・・」

目の前に、「あの」天狗が現れたのは。


赤い目立つ山伏帽。薄茶髪のセミロング。
その憎らしいほどに整った顔が更に苛立ちを増長させる。


「・・・そんな怖い顔で睨まれてもですね?私は天狗ですので油は出ませんよ?」


皮肉るような見下すような敬語。
明らかに、自分も向こうも戦闘体勢だ。

「・・・誰だてめえ。秋兄の敵か?」


小春が怪訝そうに食って掛かる。
恐らく、俺が彼女を睨んでいる所から推測したのだろう。



「・・・敵とは、また随分と嫌な表現をしますね・・・。
 面白い記事を書き上げたから、逆上されてるだけですよ。」


悪びれもせずにさらりと言いのける射命丸さん。
逆上という言葉を使ってるからには、やはり悪意はあるのだろう。


「・・・あの記事の真意を問いましょうか。
 あの意図が丸分かりの記事の真意をですね。」

「・・・簡単ですよ。読み手が必要とすればそれが真実になります。
 まさか、意図が入ってない新聞があると思っていましたか?
 あなたの知っている新聞は、全く意図のない事実のみを伝える新聞ですか?」


そう問い詰められると、ぐうの音も出なかった。
確かに・・・向こうにいた時の新聞は、事実をそのまま伝えていただろうか・・・?


「・・・さて、そんな陳腐な話はさておき、
 この倒れている妖怪狐はどうしたんでしょうかね・・・?」


いつの間にか、後ろに回りこんで、
腰をかがめてまじまじと野孤を眺める射命丸さん。


「・・・いつの間に・・・いや、もういいです。
 恐らく、急性水銀中毒です。どうすればいいですかね?」


すっかり苛立ちは下火になってしまった。



射命丸さんは少し考えて、軽くため息をついた。

「そうですね。本当にあなたの言うとおりですね。
 一度しか言いません。下剤を飲ませて安静にさせるしかないですね。
 重金属は排出され辛いので根気よく経過を見守ってください。」


射命丸さんは、早口でそれだけ言った。
しっかり、聞き取れた。

「・・・まあ、その子はあなたの方で何とかしてください。
 興味が失せましたから。それではまたの機会に。」


それだけ言い残して、彼女は高く跳んで真っ暗闇の中に消えていった。
後に残ったのは、沈黙と、三人だけだった。



「・・・あれ、信じていいのか?」


しばしの間を置いて小春がつぶやくように言う。
もちろん・・・


「・・・ああ。」

 
それだけ、俺は誰ともなしに一人ごちった。


「さて、命蓮寺に行こう、野孤。」
軽い寝息を立てている野孤を軽く抱き上げ、
俺は帰り道に足を向けた、そのとき。


視界の向こうに、駆け足でこちらに走り寄ってくる少女の姿があった。
・・・ののだ。




「遅れてごめんなさい、小春さまっ!」
「珍しいな、お前が遅れるなんて・・・どうした?
 まあ、歩きながら話せ。戻るぞ。」
「そんなっ・・・無駄足ですかっ!?」


のの、どんまい。

こんなやり取りの後、三人で歩きながら、命蓮寺に戻ることにした。




「実は、巨大な銀色の蛾の大群に襲われてですね・・・」
「はあ・・・吹き飛ばせよ、そんなの。」
「生き物を殺すなんて、私にはできません・・・。」


歩きながら、そんな会話を横で聞きながら、
野孤を振動させないように気遣う。




銀色の蛾。そんなフレーズが、妙に耳に残っていた。




つづけ