東方幻想今日紀 百九話  お祭りの夜に生きていて

祭囃子と雑踏を背景に、二人の青年がたたずむ。
身長差は僅かだが、呈している年齢には少し差がある。


俺はシャクナゲさんから思いがけない事を言われた。
深水が、俺にとって必要がない。


いくらシャクナゲさんの言葉でも、
咄嗟にそれを信じることは出来なかった。


「うーん、信じられないような表情をしていますね・・・
 それではこちらから一つ訊きます。」

シャクナゲさんが軽く顎に手を当てて、考え込んだ後に、
一つ問いを投げる前置きをした。

「・・・はい。」

俺が軽く頷くと、シャクナゲさんは呼吸を整えた。


「・・・たとえば、あなたがそれを持つことで、
 あなた自身が強くなったと勘違いしていませんか?」

「・・・あ。」

小さな声が、自分の口から漏れたのを感じ取った。

「・・・考えてみてください。さっき、あなたが話してくれたこと。
 少年に、抜いて斬りかかろうとした事。ネズミの子を守るため。
 そんなの、あなたが彼女を連れて逃げれば良いのではありませんか?」


・・・全くその通りだった。
あの時、俺はどうかしていたんだと思う。

彼女を攻撃されて、頭にきた弾みで彼を殺そうとしていたのだ。
そんな、一時の感情に任せて、彼の命を奪っていたら・・・。

・・・そんなの、おかしい。狂ってる。

もっと恐ろしいのは、それを言われるまで気付かなかった事。


・・・どんどん、自分は殺人鬼みたいな性格に
なってきているような気までしてきた。


・・・思考回路がどんどん、単純で短絡的になってる・・・。

考え出すと、胸の奥が苦しくなってくる。
そのうち、ナズーリンまで危険な目に遭わせてしまうんじゃ・・・?

・・・俺は・・・

「自分で気付ける間は大丈夫です。脅かしてすみませんでした。 
 ・・・でも、頭に留めておいてほしい事があります。」

「・・・はい。」

俺の頭をくしゃっと撫でながら、優しく微笑みかけながら、
ゆっくり、はっきりと語りかけた。


「・・・妖怪という物は、本質は冷めた殺伐とした性質の生き物なのです。
 それは、人間のような濃縮された時間の中で動いていないからです。
 でも、長年を過ごした妖怪は人間のそれに近いものを身に着けています。
 だから、妖怪化するという事・・・即ちそのような性質が付くのは当たり前です。
 人間の心、感覚を忘れないでいてください。それが、あなたの最善です。」
 
 
シャクナゲさんの子供をなだめるように言うそれは、
すべて頭の中に染み入るように入っていった。

シャクナゲさんが言うと不思議だ・・・。


こんなにも、説教くさい言葉なのに・・・たやすく受け入れてしまう。


「・・・それで、その刀はどうしますか?
 僕に預けることも出来ますよ。文字通り諸刃の剣・・・ですが。」


軽く小首をかしげながら、優しく問いかけるシャクナゲさん。
いや、これは問いかけではない。


選択を迫っている感じだ。


「・・・いえ、これは俺が持ちます。
 こいつにお礼を言わなきゃいけないのでね。」


笑顔でこう返した。

そう。俺は彼(?)に助けてもらったのだ。
深水が抜けていたら、きっとあの少年を斬っていた。
深水がいなかったら、あの少年を殴り殺していた。

鞘付きで殴りかかっていたからこそ、あの少年はその攻撃を弾けた。
攻撃を弾かれたからこそ、俺の気持ちは一気に萎えた。

先生という立場でありながら、自分の手を汚すことになっていたのだ。
恐ろしく、短絡的な思考で。

おまけに、ナズーリンを護るためという大義名分まで付いていたのだ。
考えてみると、ぞっとする。


そのときの俺にとっては、殺人のこの上ない最高の理由だったのだから。


だから、シャクナゲさんの言ったことは本当に理に適っている。
もう、自分は人間じゃない。

自分のどこかに、殺人鬼のようなものが巣食っているのだ。
それを踏まえていないと、いつか取り返しの付かないことをしてしまいそうで・・・。

深水と、シャクナゲさんにそれに気付かされた。
だから・・・


「・・・シャクナゲさんっ、一つだけ何でもお願いを聞きますよ!
 欲しい物でも、して欲しい事でも、何でも良いです!お礼をさせてください!」

とびきりの笑顔で、そんな事を言ってみせた。


「・・・また会うときに、考えておきますね。
 そのときに、僕のお願いを聞いてもらいますね。」

シャクナゲさんは俺の頭を撫でて、心からの笑顔でそんな事を言った。



・・・謙遜・・・しなかった・・・!



・・・胸の奥が燃えていた。

少しだけ、シャクナゲさんとの壁が、小さくなったような気がした。







シャクナゲさんに別れを告げた後、俺は人ごみの中を駆け抜けた。
舞い上がっていたからどのくらいの人とぶつかったかも分からない。


何度怒声を上げられたのかも分からない。
何度襟首を掴まれて怒られたかもわからない。


・・・でも、俺は走り抜けた。
反省なんて、微塵もしていない。


屋台にたどり着くと、ナズーリンと寅丸さんが
二人で焼きそばを作っている光景が目に入った。

店の裏に回り込んで経緯を話すとめちゃくちゃ怒られました。

小さな折りたたみ式の椅子に
ちょこんと座っていた少年は終始苦笑いだった。


・・・でも、それが俺だ。


自分のありのままで生きる。




・・・それでいいじゃん。





「・・・おい、ボーっとしてないで生姜を取ってくれないか?」
「えっ?あ・・・うん!」


急いで生姜を取ってナズーリンに渡す。

ナズーリンがそれを受け取り損ねる。


なぜか俺のせいにされる。





ネズミ・・・。




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「・・・ねえっ、リア君!ちょっと話があるんだけど・・。」
「ん?どうしたんですか・・・?」


すっかり着物が板に付いた丙さん。
彼女が、戻ってくるなり俺の袖を引っ張って笑顔で言う。




・・・鈴をはったような綺麗な赤い瞳は、ちょっとだけ潤んでいた。


少しだけ違和感を覚えつつも、言われるがままに付いていく。
もしかしたら、積もる話かもしれないし・・・。

それは丙さんを丙子と呼んでいたあの少年が帰ったあとのこと。
命蓮寺の場所を教えて、そこに昼から夕方の間に来るように言ったのだ。




・・・彼女に袖を引かれてたどり着いた場所。

そこは、祭りの騒ぎから外れた小高い妖怪の山の近くの丘。
にぎやかな声や太鼓は、壁を二枚隔てた向こうにあるように聞こえてくる。



俺と丙さんは、そこに腰を下ろして、象嵌を散らしたような星空を仰いだ。
月は隠れていて、新月だった。





「・・・着物って・・・ちょっとスースーして恥ずかしいけど・・・。
 これって・・・ちょっと新鮮で気持ちいいかもしれない・・・。」


星の薄明かりの中で、着物の襟を引っ張った丙さんが切り出した。
いつもの弾んだ高い声ではなく、しっとりした高い声だった。

「そっか」

俺は、それだけ答えた。
感情を込めずに、出来るだけ素っ気無く。


丙さんはそれを聞いて黙り込んでしまった。
彼女にしては珍しく、空気に空白を作ったのだ。


「・・・リア君を見てるとさ・・・昔の友達を思い出すんだ・・・。」


ぽつり、ぽつりと草に語りかける彼女。
その呟きを、俺は正面から向き合えなかった。


丙さんは、少しだけ間を置いて、次の言葉を紡ぐ。


「・・・私・・・二年前さ、ちょっと辛い事があってね・・・。
 この幻想郷に迷い込むことになっちゃったの。」


「・・・えっ?」


思わず、聞き返してしまった。
彼女も外来人とは、今までに聞いたことが無かったからだ。
・・・誰の口からもだ。


「・・・えっと、続けるよ・・・?」
「あ、どうぞ・・・。」


丙さんが困惑したように、頬に手を当てる。
話を遮ってしまった。

・・・また、やってしまった。



・・・丙さんは、取り直すようにゆっくりと口を開いた。


その動作が、あまりにもたどたどしくて、もどかしくて。



「・・・私の友達はね、目の前で殺されちゃったんだぁ・・・。」

その投げるような声と一緒に、手足を投げ出して、
どさっと草の上に彼女が倒れこむ音がした。



彼女の紅い両目と硬い草は、一筋の透明な管で繋がっていた。



つづけ