東方幻想今日紀 百八話  相の無知

「くそっ・・・!腕で深水を弾くなよっ・・・!!」

「落ち着きなよ・・・そんな軽いものを全力でぶつけられても
 人間だって怪我すらしないからね・・・?」


少年に向けられた渾身の一振りは、あえなく腕で払われてしまった。
鞘付きで、おまけに凄く軽い刀での攻撃。



もし冷静ならば、その腕で殴っていたほうがよほど効果があっただろう。
・・・何せ、既に自分の腕力は人間のそれではなかったのだから。


「ボクはただ単に、丙子って子の居場所を聞いているだけだ。
 教えてくれれば、もうキミたちに害は加えないよ?・・・ね、リア君?」

青年は、細い腕を組んで穏やかに穏やかにその言葉を継げた。



「・・・どうして俺の名前をっ・・・!?」

一本だたらの知り合いは、小傘以外にいなかったはず・・・。
・・・彼を見つめても、全くその影はよぎってこない。


戸惑っていると、少年はゆっくりと口を開いた。


「まあ、なんでもいいよ。ボクに丙子って子の居場所を教えてよ。
 何か知っているみたいだからさ。・・・ねえ?」


っ・・・何でこんな奴に丙さんの場所を・・・。
それに、この子はどうして名前を勘違いしてるんだ・・・?


「・・・いい加減にしてくれないか?」

「・・・ん。」


少年を見つめていると、突如ナズーリンが俺の目の前に立つのが見えた。
オッドアイの少年は細い眉をひくつかせる。


「・・・もし私達が知っていたとして、
 君は彼女に何をするつもりなんだい?」


ナズーリンが、さっきの少年と同じような笑みで尋ねる。
ロッドを構えているから間違いない。彼女の戦闘体勢だ。


少年は、そんな彼女から視線を外し、
ふっと口から息を抜いて、空を見上げた。



「・・・ボクね、友達がいなかったんだ・・・。
 皆からは嫌われて・・・そんな時ね、丙子さんと出会ったの。」


つぶやくようにして言った彼の言葉。
どこにも向けられない、独り言のように、ぼそりと。


俺とナズーリンは、お互いに顔を見合わせてしまった。




少年は、続けようとして口を開いた。
・・・しかし、ナズーリンがすぐにそれを遮った。



「・・・もういい、わかった。そういう事なら案内しよう。
 私達と一緒に付いてきてくれるかい?迷子を見つけたと係員には説明する。」


「いいのっ・・・!?」


少年は弾けるような笑顔で、弾んだ声を上げた。

ナズーリンの方は、ふっと微笑んだままだった。
まるで、親が子供を見守るときのような・・・
そんな表現がしっくり来る目をしていた。

こんなにも穏やかなナズーリンの目は、しばらくぶりに見た。



・・・ナズーリンがいいなら、いい。
俺には・・・何か言う権利は無いから。


・・・腑に落ちない気分のまま、最後の判子を押しに行った。






・・・そう、彼女がいいなら・・・。
俺が反対する理由も無いしな・・・。



今思うと、深水が抜けなくてよかった。




もし抜けていたら・・・。








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「おや、随分と遅かったですね・・・?
 冷めてしまったので全部食べちゃいましたよ・・・?」


なぜ食ったし。


三人で出口に行くと、出たところで手ぶらの寅丸さんがいた。
あんまりだ。というか寅丸さん・・・もしかしてお腹減ってたのかな・・・?
まあ、忘れていたから別にいいんだけど・・・。

「・・・おや?その子は誰ですか・・・?」
「丙の友達だ。今から会わせる予定なんだが・・・どこにいるかはわかるかい?」


寅丸さんが訝しげそうに尋ねるとナズーリンは苦笑しながら返した。
寅丸さんは無言で首を横に振る。


「それじゃあ、屋台の方に戻りましょうか。
 恐らく、皆さんを待たせているでしょうし、
 もしかしたらそこにいるかもしれませんしね?」


そんな短いやり取りの後、屋台に戻る結論に落ち着いた。


そっか、待たせていたのか・・・。
元はと言えば、俺が手間取らせたのがいけない。
あんなにギャーギャーやってたら、それは時間がかかるだろう。

申し訳無いなと思いつつも、口に出すのはやめておく。
せっかくの楽しい雰囲気を台無しにしたくないし、
彼女達、特にナズーリンは仕方ないと思ってくれるだろうし・・・。



「・・・ところで、今は誰が屋台をしている予定なんだい?」
 
「恐らく、ムラサと一輪と雲山と小傘が切り盛りしているはずです。
 小傘はともかく、あの二人なら苦情もそつなく対処できるでしょうしね。」

「そうだな・・・ぬえなんかはそのまま口論になってしまいそうだな。」
「それは言いすぎですよ、ナズーリン。」
「ははっ、冗談だ、冗談。」


二人で仲良く談笑している様子を横目で見ながら、
少しだけ物寂しい気分になった。
ナズーリン、俺と話してるとき、こんなに楽しそうに笑ってないよな・・・。

寅丸さんだって、硬い表情じゃなくて、すごくほぐれている。
本当に信頼しあっているのか仲が良いのか・・・。

少年の手を軽く引きながら、物憂く、重い足取りで歩く。

周囲を見回すと、楽しそうに歩いているカップルや、親子連れ、
友達連れの妖怪らしき人、本当に色々な人が盛大な祭囃子を背景に笑っていた。


・・・どうして、こんなに皆楽しそうなんだろう・・・?


ちょっとだけ、胸が苦しくなってきた。
まるでここが自分の居場所じゃないみたいに思えてきた。

細めた目で周りを見回すと、一つの影に吸い込まれるように焦点が合った。

少し遠くの、雑踏の向こう。


崩さない黒いゆるめの着物に、しっかりした大きめの手が握る扇子の柄。
綺麗な癖のない短い髪。


その面影から、完全に目が離せなくなっていた。


「・・・シャクナゲさん!おーい!おーい!」


次の瞬間には、大声で彼を呼んで手を振っていた。
少年がビクッと体を震わせたのも、
談笑している二人がそれをやめて振り返ったのも構わずに。




「・・・全くもう、変わってませんねあなたは・・・。
 何はともあれ、呼んでくれてありがとうございます。」

「えへへ・・・お久しぶりですっ・・・!」

青年が雑踏を掻き分け、俺の頭を優しく撫でたのはその少し後だった。
久しぶりの再開に、思わず涙がこぼれそうになるくらいうれしかった。

優しい手が、ゆっくりと自分の髪を梳いていた。

胸が熱くて、口角はだらしなく上がっていた。


「・・・リア、感動の瞬間に邪魔して悪いのだが、彼は?」
ナズーリンが頬に手を当てて尋ねてきた。


もちろん・・・


「俺の恩師ですっ!!」
「嘘はやめてくださいね。」


即答したら、シャクナゲさんが被せるように苦笑いで否定した。


「君がそんなに子供みたいに目を輝かせているなんて珍しいな・・・。
 そうか、この人が君が時々話していたシャクナゲさん・・・とやらか。」


ナズーリンはそれ以上言わなかったが、
その小さな口は余韻を残して、時間差で閉じた。


「・・・いえいえ、僕はただ、彼を一晩泊めただけですよ。
 特に何ということはしていません。」


まっさらな笑顔で言う彼をナズーリンと寅丸さんは凝視する。
どちらかというと、その瞳は疑念に近かった。

「・・・あのさ、悪いんだけど・・・先に行っててくれないかな?
 俺、ちょっとここで話したいんだ・・・後で屋台に合流するから!」

「・・・わかった。くれぐれも迷子にはなるなよ?」
「ならないよ!そこまで見くびんないでよ!」


熱弁する俺を見て、ナズーリンはふっと息を抜いて冗談めかす。
・・・いや、冗談だよね?まさか本当に迷子になるとは思ってないよね?

どう見ても「えっ、違うの?」みたいな表情をしているけど、気のせいだよね。


「・・・さて、リアは積もる話を彼とするそうだから、邪魔な私達は退散しよう。」
「そうですね。一対一の話に私達がいては話しづらいですよね。」

「その言い回しはやめてください二人とも!そんな関係じゃないから・・・!
 って、その顔やめてよ!まさか本気でそう思ってないよね!?」


後で合流したら、ゆっくりと弁明する必要がありそうだ。
場合によっては、深水を抜けるようにしなきゃ・・・。

シャクナゲさんは苦笑いだった。


物騒な冗談を頭に浮かべていると、少年と二人は雑踏の向こうに歩き出した。


「・・・シャクナゲさんっ、お久しぶりですね!
 いつ以来でしたっけ?こうやってゆっくりと話が出来るのは・・・!」


しばらく見送った後、俺は彼に話題を振った。


「そうですね・・・八ヶ月ほどでしょうか・・・?経ってますね・・・。
 最近、調子はどうですか?また、無駄に張り切ったりはしてませんよね?」

心配そうに言うシャクナゲさん。
でも、どことなく表情が緩んでいた。

「はいっ、この通りです!皆さんとは打ち解けて・・・。
 命蓮寺に新しい人が入ってきたりで・・・。楽しい毎日ですよ!」

「そうですか、それに越したことは無いですね。
 ・・・ところで、その刀はどうですか?」

「・・・あ、これですよね?困った奴なんですよ。
 肝心な時に抜けなかったりで・・・。
 でも、いざというときはしっかり助けてくれて・・・」


シャクナゲさんは、顔に疑問符を浮かべながら俺の腰を指差した。
腰から刀を引き上げると、鞘に収まったままの刀が顔を出す。

俺は得意気に、深水のあれやこれやを話した。
包み隠さず、すべて。


聞き終えて、シャクナゲさんが顎に手を当てて少し何かを考えていた。

「どうしました・・・?」


不安を覚えて、俺が尋ねると、彼はゆっくり顔を上げた。



「・・・その刀、もうあなたには必要ありませんね・・・。」
「えっ・・・?」




シャクナゲさんがそのままの顔で言った言葉を、俺はすぐには理解できなかった。



お祭りの賑やかなざわめきの中、ここだけ静かだった。




つづけ