東方幻想今日紀 百二話  お祭り前々夜

俺がここに来て早八ヶ月。




梅雨が明けて、すでに蝉が至る所でけたたましく
あのジリジリ声でわめいている。



幻想郷にも、そんな暑い夏がやって来た。




あの刻印異変からも、もう半年が経っていた。


残された問題は妖怪化のみ。
それさえ解決すれば、もういつでも元の世界に戻れる。
そんな状況で、解決への策が全く見えてこない。



滞ったまま何の動きもなく、半年。




既に八方手詰まりで、
その上自分自身もその事を軽く忘れかけていた。




帰る意思は・・・あるはずなのに・・・。




あるはず・・・なのに・・・。





じゃあ、もし今、妖怪化が消えて、
完全な人間になれたとしたら・・・?
すぐに帰れるとしたら・・・?











「既に聞いているかもしれないが、冷涼祭が、明後日ある。」


ある日の暑い夕暮れ、広間で子供達の採点をしていると、
突然やってきたナズーリンが、そんな事を持ちかけてきた。


「・・・えっ、冷涼祭?」


一瞬面食らったが、よく考えてみるとただのお祭りだった。



「・・・ああ、一週間前、守矢神社から招待が入った。
 命蓮寺は出店もする事になるな。屋台の焼きそばが担当だ。」


一週間前・・・ふむふむ。


「はい、ナズーリンさん。どうして一週間前のことなのに
 俺には何も話が来てないんですか?いじめですか?」

「・・・少し黙ってもらえないだろうか。
 設営準備は昨日で終わらせておいた。どういう意味か分かるかい?」


俺が軽くブーイングすると、ナズーリンはまるで馬鹿を見るような目で、
片目を軽くつむって淡々と話した。


・・・設営は昨日で終わらしたって・・・あっ。


「・・・どうして準備をさせてくれなかったのさー・・・。」

「・・・まあ、そんなにうなだれないでくれたまえ。
 たまには君に恩とか義理を、感じさせずに純粋に楽しんで欲しかったんだ。
 私達からの、いつもがんばっている君へのご褒美だと思ってくれ。」


ネズミ耳の少女は、いつも以上に穏やかで、優しい笑顔を浮かべた。

表情を大して崩していないのに、こんなにも可愛く笑えるって・・・凄い。



「・・・ありがと、ナズーリン。」



自分も、同じような表情をがんばって作って、返した。




「・・・私だけではないからな?あくまでも命蓮寺の皆だからな?
 まあ・・・そう思っててくれても・・・私は構わないのだがな・・・。」




・・・最後だけ、消え入るような小さい声で彼女は言った。
よく聞き取れなかったけれど・・・まあ、大丈夫だろう。




お祭り。


よくよく考えてみると、ここに来て初めてのイベント。
正に・・・夏祭り。



そうだよ・・・何でこんなことを忘れてたんだよ・・・。



何でも楽しまなきゃ損だし、何よりも・・・。

目の前の彼女と一緒に・・・お祭りを楽しめるかもしれないわけだし・・・。




・・・思いっきり、楽しめばいい。
妖怪化、深水のこと、なるようになるさ。


・・・今は、この夏祭りを楽しもう。






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ナズーリンと話し終え、採点も終えて、
初夏の改装の際に出来た、自室に戻った。


畳のにおいがまだする八畳ほどの和室。
たいした物は何もなく、本が並んだ本棚と、
暇なときに誰かを呼んで指すための将棋盤と駒箱があるくらいだ。

畳や周りの本棚は青っぽく染めてあり、居るだけで落ち着いて、
作業とかに集中できる部屋にしてもらった。


そんな部屋で、俺は今、大の字になって畳の上に寝転がっている。



もう差し当たり何も仕事はないし、後は夕飯まで適当に時間を潰そう・・・。




「深水ー・・・。」


俺は近くに置いてあった鞘の付いた刀を持ち上げて、
ちょっとだるそうにその刀に呼びかけた。



『なんじゃ、珍しいの。』



持っている刀からではなく、頭に直接響くように、呼応する声。
おまけに、感情のこもったそれではなく、もっと無機質だ。


でも、感情はきちんとある。


声から読み取れないだけで、深水の発する言葉の文脈から容易に読み取れる。
多分、それが出来るのは自分だけだと思う。

今の声だって、ぶっきらぼうな応対ではなく、
親しみを込めて、久しぶりだな、程度のものだ。多分。


「ねーねー。明後日、夏祭りがあるって!
 何があるんだろう?やっぱり、一緒に誰かと食べ歩きとか出来るかな?」


寝転がりながら、子供みたいに声を弾ませて刀に語りかける。

傍から見ると、どう見ても変人を超えて変態の領域である。


『ふっ。元気じゃな。まあ、あわよくば更に仲良くなれるじゃろうて。
 ただ、お主は不幸が寄ってたかって来る体質だから、気をつけるのじゃぞ?』


独特の間から、感情まで読み取れるような、そんな深水の声。
どことなく、見守る保護者のような雰囲気を漂わせている。

・・・不幸ホイホイ的な呼ばれ方は心外だけど。


「子供じゃないんだから、大丈夫だよ。
 ま、とにかく楽しんでくる。」


仮にも、俺はどこぞの眼鏡の名探偵とは違う。
行く先々で事件なんかに巻き込まれたりなんかしない。


『ところで・・・お主は最近、どうなのじゃ?』


そんな、ごく普通の疑問を投げかける深水。
刀を身に着けていない時は記憶を共有できないのだから、
仕方ないといえば仕方ない。
そもそも、基本は護身用なのだから、寺子屋の行き返りに携帯するくらいだ。

だから、最近深水と共有している記憶といえば・・・
どこそこでどんな妖怪を追い払ったか、たったそれくらいだ。
一応、命蓮寺での記憶は、共有してはいる。
ただ、後から暇な時に俺から話す程度で、共通の記憶ではない。


だから最近どうか、という問いはつまり最近の寺子屋での様子を尋ねているのだ。
寺子屋のことは、滅多に俺から話すことは無いからだ。

別にプライバシーがどうこうというより、単純に話すことでもないからだ。
生徒の失敗談を話すのも気が引けるし、
生徒がこんな風に成長したよ、とか、そんな話をするのも少し小恥ずかしい。



だから、必然的に自分のことを話すしかないけど・・・。
せいぜい、環境の変化を挙げるくらいかなあ・・・。


「まあ・・・大した事は無いけど・・・。
 自分が正式に、先生になったこと・・・くらいかな。」


アルバイト同然だった今までに対し、正式に寺子屋の先生にしてもらった。
もともと、そんな扱いは前にも受けていたから、
特にアルバイトだっていう実感はほとんど無かった。

だから、大した変化ではないけれど、認めてもらったという事には変わりは無い。


『ほうほう、それはよかったの。じゃが、悪い側面つきじゃな。
 ・・・というのも、祭りであまり突飛な事は出来ないからのう。』


深水は少しだけ洒落気を込めて言ったのだろうが、
どうも言葉の端々が引っかかる。


「・・・突飛な事?」


頭の中にたくさんハテナマークが浮かぶ。


『責任が重くなるのじゃから、軽はずみな事は慎むべきじゃな。
 何か事件があった時、最前衛で事に当たる・・・とかじゃ。
 お主は何でも首を突っ込む癖があるからのう。』


「うぐ・・・。」


確かに、深水の言った事は的を射ているけど、
そうそう事件なんて起こる物じゃない。
多分、意識する必要は無いだろう。

俺は探偵じゃない。教師なんだもの。


『まあ・・・不安じゃから、儂は祭りが終わるまで眠りに付く事にするぞ。
 それまで、お主は儂を抜くことは出来んぞ?いいかの。』


む・・・?深水にしては珍しく、慎重だな・・・。
いや、万が一を考えるのは当たり前・・・か?


「うん・・・。」

俺は少しだけ弱弱しく、返事をした。




まあ、深水なりに、職権を失わないように、気を使ってるのかもしれない・・・。
・・・今はそう思うことにしよう。



そもそも、戦う状況なんてよっぽどのことが無い限り、起こるもんじゃない。
深水がいなくたって・・・大丈夫・・・だよね・・・。





「リアくん、ごはんができたみたいだよ?」



少しだけその場で考え込んでいると、
後ろの方で明るめの声と一緒に遠慮がちに戸を叩く音がした。

この声は小傘か・・・。



「うん。今行く。」


俺は立ち上がってふすまを軽く開けた。

開いた引き戸の向こうには、想像通りの人物がいた。
少しだけクセのかかった水色の髪に、右が水色、左が紅の瞳。
腕を後ろに軽く組んで、床の上に立っていた。


「・・・浮かない顔してるけど・・・大丈夫?」


俺の顔を見るなり、小傘はそんな事を俺に投げかけた。

あれ・・・そんな俺、顔色悪いかな・・・。


「・・・ん、大丈夫。心配ありがとね。」

「うん、きっと、ごはん食べれば元気になるよ!
 みんなで、お祭りの話もしようよ!」


子供みたいに軽く腕を上げて言う小傘は、ちょっと面白くて、可愛かった。
もしかしたら、元気付けようとしてくれているのかもしれない。


そう・・・明後日はお祭りなのだ。






どこか、引っかかるものを感じながら、俺は階段を小傘と駆け下りた。



つづけ