東方幻想今日紀 三章  序話  今と過去の縁を結ぶ

「・・・おや、目を覚ましましたか?
 かれこれ、一ヶ月も寝ていたのですね。」



きょとんとした紅い瞳の前に
少々大人びた、微笑む包帯の少女が映りこんだ。



丸一ヶ月、寝ていた。
・・・その事実を、少女は難なく飲み込んだ。




もちろん原因は、彼女が長い、長い夢を見ていたからだ。




「・・・えっと、彼我さん・・・?
 ・・・どうしてここに?」



赤い瞳の少女は、目を擦ってその影を見つめる。




「・・・こんな所で暮らしていたのですね・・・。
 道理で、誰もあなたの居場所を知らない訳です。」




彼我は、丙の問いには答えなかった。
・・・それは、彼女の悪い癖のひとつだった。



二人が今いる場所は無縁塚の端、妖怪桜「紫の桜」の木の上。
少女達は、木の枝の上に腰を降ろしていた。



無縁塚に数本点在する紫の桜は、
「罪の意識」によって咲く「後悔の花」。



その紫の幽玄な花は、満開だった。




・・・本来無縁塚とは、幻想郷、冥界、外の世界との
結界が交わり、自身の存在を維持することが困難な場所。


現実ではない「夢」に偏った存在である彼我はともかく、
現実をひた隠しにする丙にとっては非常に危険な場所のはずだ。



・・・しかし、無縁塚は、彼女を受け入れていた。




縁の無い、すなわち「無縁」。
つまり、「誰とも縁の無い者」の場所だからである。


無縁塚にとって、現実から目を背ける彼女は絶好の住人なのだ。








「・・・今のは、あなたが見ていた夢です。
 あなたの、記憶の奥底からやってきた夢です。
 すみません・・・つい入り込んでしまいました。」




包帯の少女は、申し訳無さそうに首を傾けて苦笑いをした。
紅い瞳の少女も、同じような苦笑いを溜息混じりに浮かべる。





「・・・そっか、全部、知っちゃったんだね・・・。」










・・・目の前で、初めての友達が殺害された。
それも、自分の無力のせいで。











丙にとって、最も悲壮な過去。

そして、絶対に忘れたくない過去。



・・・それが、この夢に現れた記憶そのものだったのだ。



ヰ哉 彼我は、あまりにもそれを無造作に覗き込んでしまった。
彼女の夢は、過去に負った深い傷の再現だったとも知らずに。


おまけに、彼我の介入によって、
より「鮮明で生々しい」夢になったのだ。



少女の最もデリケートな記憶は、
彼我の持つ少しの好奇心によって、無理矢理呼び覚まされてしまったのだ。



彼我の心境は、内心穏やかではなかった。
と、同時に、途轍もない罪悪感も抱えていた。


丙も、薄々それを汲み取っていた。




「・・・私はさ、幻想郷に来た時、名前を変えたんだ。
 『丙子』って名前から、『丙』って名前にさ。
 『子』っていう字はね、私の国では賢いだとか、
 護れるだとか、そういう意味だったんだよ。」



ぽつぽつと、少女が誰にともなく語りかける。


現実逃避。そんな言葉が彼我の脳裏をよぎるが、的外れな言葉であった。
そして、それは間違いだと彼我はすぐに認識を改める。




「・・・『誰かを護れる』まで、その名を捨てたのですね。」

「・・・うん。そうだよ。
 でもね、また・・・大切な人、護れなかったの・・・。」




それは、一ヶ月前のこと。



丙は刻印異変の余波でやってきた使者の手から、少年を護ろうとしていた。
しかし結局、自身の「欲」を恐れて、少年が傷つく前に使者を倒せなかった。

結果、少年と自身を瀕死に追いやってしまったのだ。



結局二人を護ったのは、博麗の巫女だった。



・・・おまけに、巫女は丙の傷が治るように特効薬に加え昏睡薬まで渡したのだ。
そうでなければ、一ヶ月間も昏々と眠り続けるなど、不可能だった。



決して巫女が思慮深いのではない。彼女の天性の勘がそうさせたのだ。



・・・それは恐ろしいもので、もうひとつの奇跡を起こすに至った。







「ねえ・・・ところで今日って、いつかわかる?」


丙が彼我に確認するように尋ねる。



「・・・二月二十九日、閏年の日ですね。」





「・・・そっか・・・メルシア君、今日で15歳になったんだね・・・。」




どこか遠くを見つめて、赤い瞳の少女はつぶやいた。



・・・もちろん、故人は年を取ることは無い。



・・・そんな丙の様子を見て、彼我は表情を緩める。
そして、少女の小さな頭を軽く撫でた。



「・・・こんな小さな体に、どれだけの考えを詰めてるんですか・・・。
 子供は・・・子供らしく、誰かに頼って下さい・・・・。」


少女は、目を白黒させる。


「わ・・・私は千歳越えでっ・・・!」
「・・・嘘はダメですよ?」




彼我は少女の額にこつんと指先を当てた。



「うっ・・・。」



少女は小さく呻いて、ばつが悪そうに目を背けた。
丙の視線は、しばらく宙を泳いだ後、また彼我の緑色の右目に戻った。






「・・・どうして、嘘だってわかったの?」



・・・少女は、心底不思議そうに彼我に尋ねる。



・・・異世界の者に、年齢の嘘がばれていた。


少女にとって、それは不思議極まりないことだった。



「・・・長年の、私自身の勘です。」

包帯の少女は含みのある笑いを浮かべた。




彼我は、幻想郷の古参妖怪。


少女の嘘の目的が、年頃の少年少女に見られる背伸びではなく、
現実から目を背けようとする防衛本能によるもの。
そんなことを見抜く程度の経験を、彼女は持ち合わせている。



少女は、赤い瞳を細めて、彼我を見つめた。







そして、何かを思い立ったように、紫の桜の枝から飛び降りた。







「・・・そろそろ命蓮寺に戻ろっ。
 みんな、待っててくれるかなっ・・・。」




笑顔で少女は木下から、腰掛ける彼我に向かって声を張った。



・・・それは、丙が過去とまっすぐ向き合うことを意味していた。








「・・・きっと、待っててくれてますよ。」


彼我は、安堵の表情を心の中に浮かべた。


















・・・その日は、赤い帽子の龍が十三歳を迎える日でもあった。













つづけ