東方幻想今日紀 三章  序話  あなたの国を私は知らない

ある日、私は中間域の森で倒れている男の子を見つけた。


少年は黒髪で、小さな矢筒を背負っていた。
でも、弓はどこにも見当たらなかった。
見たこともない服を着ている。

その手には、この辺りでしか取れない
病気の特効薬になる真っ赤な木の実があった。


そして、彼は目を強く閉じて苦しそうに肩で息をしていた。


その理由は、彼の足を見るとすぐにわかった。

彼の足はありえない方向に曲がっていたのだ。
腰も潰れ折れてるけど、安静にすれば大丈夫だと思う。

近くには折れた枝がある。


この男の子は木の実を取ろうとして
落ちたのだと直感した。






多分、龍乃国の格好じゃないから而国の人だろうな・・・。


初めて目の当たりにする而国の人に、
私の胸は軽く高鳴っていた。



而国。私の知る限りでは、
私の国、すなわち龍乃国と、ここの中間域を挟んで隣の国。

而天さま、という神様が国の政治を担っている
とても平和な国だと聞いていた。


そんな而国の少年が、今私の目の前で倒れている。





私は痛みか、それとも悪夢かでうなされている彼を運んだ。






彼を自分の部屋に運び込んだ後、治療をした。
程なくして彼が目を覚ました。


彼の名前は「メルシア」っていうらしい。



でも、メルシアくんは私達「龍」を勘違いしていた。

私が龍とわかった瞬間に、敵意をむき出しにしたのだから。
まるで別人だと思うくらいに。

いや、「メルシアくんは」というのはちょっと違うかもしれない。

「而国の人全体」が、龍を勘違いしている様子だった。


彼の言葉の端々に聞こえた言葉、「洗脳」、「見せしめ」。
それだけで十分わかる。きっと、彼は龍を悪者だと思ってる。


本当は、少しだけ力が強いだけで、
あなたたち人間と変わらないのに・・・。


でも、確かに龍は人間と決定的に違うことがある。


それは、龍はみんな、生まれつき持つ宿命的な「欲」があること。
龍である限り、誰もそれからは逃れられない。

私が生まれる前に死んだ二人の姉も
それぞれが持つ「欲」によって死んだという。


長女は「独占欲」、次女は「睡眠欲」。


そして、三女の私は「色欲」、つまり「性欲」だった。



・・・実は、祖国を離れてこの中間域で過ごしてるのは、
この「性欲」を「有効的な力」として昇華させるため。


そこまでしなきゃいけないのは、私が龍乃国の姫だから。
「欲」をどうにかしないと国なんて治められないから。


そんな自覚はあったから、私は一人で過ごすことを受け入れた。
誰かと離れて暮らすのは、私にとって、胸を裂かれるほど辛かった。


人一倍「性欲」が強いのは、人一倍「さびしがり」ということでもある。
でも、そこから逃げていたら成長なんてできない。


だから、本当は一人でここで過ごさなきゃいけないんだけど・・・。
大怪我している男の子を放っておく訳にはいかないし・・・。


・・・彼が興奮して怪我を悪化させそうになった時、
私はつい彼を抱きしめて押さえつけてしまった。


あれも本能的なもので、逆らえなかった。



結果的には、彼は私に対しての誤解を
解いてくれたみたいだけど・・・。


「・・・ねえ、メルシアくん。何か食べる?」
「・・・うん。」


私が話しかけると、彼はふいとそっぽを向いて答える。
やっぱり、打ち解けるのは時間が掛かっちゃうかな・・・。


でも、首を縦に振ってくれたから頑張って作ろっと。
私の作るご飯を食べてくれるってことは、
少し信用してくれたのかもしれないし・・・。






台所に立って、適当な食材から料理を作る。

一応食材はお父さんが送ってくれるから、何でも揃っている。
だって、一人で暮らすのが目的であって、
別に自給自足はしなくていいのだから。


人間はどんなの物を普段食べるんだろう・・・?
そんな事を思いながら、包丁をさくさくと振る。


結局、「体に良いように」鶏肉と根野菜・・・の煮付けを作った。





「はい、これ。自分で食べれそう?」
「ば、馬鹿にするなっ・・・食べれるよ・・・!」



小皿に分けて、レンゲと一緒に渡すと、
彼は少し焦ったようにそれを受け取った。


私は、にこにことその様子を見ていた。
口に合うかな、おいしいって言ってくれるかな・・・

・・・そんな事を考えながら。



「・・・そんなに僕をじっと見ないでよ・・・。
 す、すごく食べづらいから・・・。」


「あっ・・・ごめんね・・・?」



恥ずかしそうに視線を軽く送って戻すメルシアくん。
そうだね、じっと見てちゃ食べづらいよね・・・。



彼が私の作った煮付けをレンゲですくって、軽く口に含んだ。
そして、彼が口を動かし、その後喉が軽く動く。

・・・小さなため息が彼の口から出た。


「どう?おいしい?」
「・・・うん!おまえ、料理うまいな!」


緊張の面持ちで訊くと、メルシアくんは緩んだ笑顔で言ってくれた。
嬉しかった。私のご飯をおいしいって言ってくれるなんて・・・。



私は、食器を下げて鼻歌を歌いながらお皿を洗った。




・・・あれ?


食器を洗い終わって部屋に戻ると、
メルシアくんが羽ペンで何かを書いていた。

すごく綻んだ笑顔で、白い紙に文字を走らせていた。



「メルシアくんっ、何書いてるの?」

「・・・うわわっ!?な、なんでもいいじゃん!」
「あっ・・・ごめんね・・・。」


遠くから話しかけると、慌てて彼は隠すようにして紙を裏返した。
・・・なんだか、まずかったかな・・・?

「なあ、ちょっといいか?」


上目遣いで気まずそうに視線を送ると、
彼はこっちをきっと見据えた。


「うん、いいよ。」


私は、小さく頷いた。


「・・・ひとつ、確認させてほしい。
 『龍』は、おまえみたいに皆、いいやつなのか?
 人を取って喰ったり、作物を荒らしたりしないのか?」


恐る恐る、視線を外しながら尋ねる彼。
小さく、弱々しく震える彼のその手は、布団の布を握っていた。

私は、彼の視界に回りこんで、軽く微笑んだ。



「・・・どう思う?」








「・・・いいやつ・・・だと・・・思う・・・。」






今度は私の顔から視線を外さなかった。
彼はきつねにつままれたような表情をしていた。



・・・きっと、而国の人はみんな龍を憎んでる。
理由はわからないけど、それは彼の言葉の端々から読み取れる。



メルシアくんの足と腰の骨折が治るまで、私が看病する。
・・・料理に特効薬を入れたから今晩くらいで治ると思う。










・・・しばらくすると、外は黒くて嫌な夜に包まれた。


外では虫が鳴き始めた。

もうすぐ寝なきゃ・・・




私は、夜が苦手だ。

それは、さびしくてたまらなくなってしまうから。
今はメルシアくんがいてくれているから大丈夫なんだけど・・・。


・・・別の意味で夜に一緒にいると不安だから、
早いところ寝てしまいたい。


私が自分自身を抑えられる自信が無い。


この生来の「欲」が、本当に恨めしかった。
これさえなければ・・・どんなに良かったことだろう。


そんな事を考えていても仕方ないけど・・・。



「・・・ねえ、そろそろ寝ない?」
「あ・・・うん。」


メルシアくんにそんな事を持ちかける。
もちろん布団が二つあるはずも無いから、私は冷たい床で寝る。

一緒の布団で寝るなど、もってのほかだ。


というよりそもそも、近くで寝られない。



あ、でも本棚が布団の横に・・・
いや、布団を別の場所にすれば良いかな・・・。

本棚の近くで出来れば寝たいし・・・。



・・・私は、布団をどかして別の場所にした。



「メルシアくん、とりあえず布団で寝てほしいなっ。」
「いいけど、丙子さんは?」


純真な目で聞いてくる彼。
私は笑顔で布を掛けてある本棚の近くの床を指差した。


メルシアくんは、不安そうに表情を曇らせた。


「・・・そんなの駄目だよ。
 僕はいい。カゼ引くから丙子さんが布団で・・・。」

「だーめっ。怪我してるでしょ?
 怪我人は無理しちゃいけないんだよ?」


うつむき気味に、声を小さくしながら言うメルシアくん。
龍は人間と違って、床で寝たくらいでカゼを引くほどやわじゃない。


それに彼は怪我をしているのだ。
だから、身体を暖かくしてほしい。


「・・・わかった。」



メルシアくんはしゅんとして、それを受け入れた。
思いやりはありがたいんだけど・・・ね。







「・・・どう?」
「まだ痛いけど、もう歩けるよ。」


次の日の朝、私はメルシアくんに怪我の様子を尋ねた。
決して良くは無いけど、順調に治ってきてるみたいで安心したけど・・・。


・・・どうも、歩き方がおかしいような・・・?


ちょっとだけ彼の動きに違和感を感じながら、
私は小さく太刀を抜いた。



・・・今は家の裏庭で剣術の練習。
あんまりやりたくないけど、
鍛錬はしなきゃいけないって師範が普段言ってるからやる。

メルシアくんも、昨日話したら見たいって言ってたし。



私は一応、剣術を習っている。師範もいる。
もちろん、最初は欲を紛らわす為のものだった。


でも、師範の教え方のうまさに、
だんだん剣術そのものに惹かれていった。
それにあなたは覚えが早い、天才だ、とたびたび言っていたので
お世辞だとわかっていても、教えてもらう時は楽しかった。


・・・でも。


「剣は戦わずに勝つ為の手段だ。」
「自らの剣を恐れなければ、勝利は訪れない。」


そんな事を、普段師範は口癖のように言っていた。

私はその言葉の意味をまだ理解できていない。
そもそも、自分の刀を恐れるだの、戦わない為の道具だの、
今ひとつ、一歩引いた小心者な考えだと思う。

やっぱり剣術というものは、真っ向から刃を交えて
そのまま打ち倒すというのがいいんじゃないのかな・・・。


でも、精神論はともかく、師範の腕は恐ろしいものだった。
具体的には「飛ぶ蚊の両羽のみ」を狙って斬れる腕なのだ。

私には到底信じられなかった。
龍は力が強いだけで、繊細な力の扱いは人間と変わらないのだ。

むしろ、力の分母が大きい分、力の制御が苦手なくらいだ。


私は、今はまだ竹を縦に綺麗に斬るくらいしか出来ない。
・・・メルシアくんに、それを今見せようと思う。



「・・・メルシアくん、この竹を見てて。」
「うん。」


私は軽く息を整え、竹を見据える。
そして、刹那の瞬間に屹立している竹に向かって
真上から真下に白刃を振り下ろした。


竹は、小気味良い音を立てて綺麗に左右に倒れた。


「・・・どうかなっ?」


ちょっと得意気にメルシアくんを見ると、
彼は予想通り小さく口を開け唖然としていた。


ふふふっ。私の腕も捨てた物じゃないのかもね・・・。


「・・・おまえすごいな!よし、僕もだ!」

・・・え?


そう言うが否か、メルシアくんは懐から小さな黒い棒を取り出した。
その黒い棒は、一瞬にして紫の大きな弓になり、メルシアくんの手に収まる。

彼は間髪入れず矢筒から一本の矢を取り出して、弓に入れる。
そして、呼吸も整えずに見通しの良い方角、山なりの空に放つ。

少しだけ間をおき、二本目を真正面に放った。



まっすぐに放たれた遠くの矢は、
上から落ちてきた矢に邪魔されて二本とも砕け落ちた。


「えっ・・・。」




私は、ただ呆然と彼の得意そうな笑顔を見つめていた。





私は、彼に弓を教えてもらった。
弓が上手な理由を彼に訊くと、気まずそうに口ごもった。
だから、それ以上は尋ねなかった。


・・・それはさておき、
私はその日のうちに弓を一通り扱えるようになった。


彼は驚いていたけど、そんなに凄い事なのかな・・・。
一つのことに「一日も」かかっちゃったのに・・・。


メルシアくんと過ごす時間はすごく楽しかった。



・・・ただ、途中でメルシアくんの足が治ってるのに気が付いた。
彼は「怪我が治っていないふり」をしている。

・・・でも、メルシアくんと離れたくないから、黙っていた。


メルシアくんは、生まれてはじめての「ともだち」。
私が・・・勝手にそう思ってるだけかもしれないけど・・・。


だから、もう戻った方が良いなんて、言えなかった。

彼がどう思ってるかも、考えもしなかった。









「・・・誰だろう・・・。」
「・・・さあ?」


その日の夕方、家の扉を激しく叩く音がした。
私はおそるおそる、玄関扉をゆっくりと引いた。



・・・そこには、真っ赤な鎧を着た、
私の背丈の二倍くらいの大きな男の人が立っていた。








理由はわからなかったけど、途轍もない寒気がした。
心臓を、直に握られたような悪寒。


こころのどこかで、わかっていたのに。
わかろうとはしなかった。







「・・・どなた・・・ですか・・・?」

私の声は震えていた。





つづけ