番外編 雨は止まず、天(あめ)は病ます 万

「・・・ここが・・・。」
「ああ、結構何でもない場所だろう?」



階段を上りきると、だだっ広い雲の上の様な世界だった。
一面の柔らかそうな白に支えられた、自分の足。





そして、視線のすぐそこには小さな白い扉があった。


・・・なのだが、あまりにも小さい。




人差し指と親指で作った輪と同じくらいの大きさだ。
人間はおろか、ネズミだって入れるか怪しい。



・・・まさか・・・直通って・・・。


「そうだ。この先が龍神の場所だ。
 で、どうやって入るかは自分で考えてみろ。」


上機嫌そうに眉を上げて言う青年。とても楽しそうだ。



・・・なるほど・・・。



やってやるよ。俺だって男だもん。





簡単だ。扉を広げれば良いんだから深水で・・・

「ちょっと待て。扉ごと消す気か。」
「・・え?」



深水で周りを斬るつもりだけなのに・・・。
あれ?もしかしてまずい?



青年はやれやれと手を軽く上げ、眉を軽く寄せた。


「・・・お前なあ・・まずいに決まってんだろ。
 これをその刀で切ったら消滅するぞ?」

「・・・うん、やめとくよ。」



・・よくわかんないけど消滅するらしい。
いやー、筒抜けっていうのはこういう時不便で困るねー・・。



「・・・まあいいや。
 とりあえず人が入れる大きさにはしておくか。」



そういって青年はラムネの小瓶を小脇に抱え、
両手の掌を軽く小さな小さな扉に向けた。


扉は軋むような音を立て、一瞬で肥大化した。
巨大化ではない。膨れたのだ。

扉はけたたましい音を立てて開き、



というか、ラムネ置こうよ。
けっこうな執着だな・・・。


やっぱり、少しは「人間っぽい」ところがあるんだな・・。
軽い溜息と一緒に、安堵を覚えた。




「さあ、あんまり長くは持たないから早く行くぞ!」
「えっ・・?あ、うん!」




青年と一緒に、全速力で真っ黒な扉の中に転がり込んだ。



そして、扉に入り込んだ瞬間に、
音も無く扉が元の大きさに戻った。



気配でわかった。



中は外から見たのとは違い、少し明るかった。
ただ、洞窟のような岩を掘り抜いて作ったような場所だった。
ところどころ、ごつごつした岩肌が露出している。


あっぶねえ・・・。
死ぬかと思った。


深い溜息をついて、胸をなでおろす。
それと同時に、わずかにこの青年に疑念を覚えた。




「・・一体何をしたんですか・・?」



きっと、何だかよくわからない
原理不明のすごい力を使ってるんだろうな・・・。



そんな期待を胸に彼の発言を待っていた。

青年は、はちきれんばかりの笑顔で言葉を投げた。




「空気を大量に瞬間的に送り込んだ。」

「・・・。」


・・思っていたよりもずっと大した事の無い方法だった。
その笑顔でこのがっかりをカバーできると思うなよ?


肩を落とす俺をよそに、青年はなだめるように続ける。


「まあまあ、お前が期待していたような『不思議な力』は
 しっかりと対策が練ってあって、あんまり有効じゃないんだよ。
 でも、龍神の奴は人間にとって『そう不思議でもない力』は
 考え付かないんだろうな。こんな感じで、無対策だ。」


そういう事なのか・・。

なるほど、お姫様が庶民の食べ物を知らないように、
空気を入れて扉を膨らますなんて、龍神さまは考えもしないのか・・・。


・・・そんな事を考えた後、我に返って青年の姿を捜す。
彼は洞窟の奥をずんずん進んでいた。


あれ、置いてけぼりですか・・?


置いていかれたら困るので、彼の背中を早足で追いかけた。
待ってよ、心の中でそう念じながら。




その後、しばらく彼の背中を追いかける羽目になったは言うまでもない。

長い洞窟を延々と歩き続けるのは、結構足と心に来る。
時間が長く感じられるからだ。



青年はある時、突然はたと止まった。

俺はその時に軽く走り、距離を詰めた。


「・・・全く・・・どうして置いていくのさ。」


ぼやくように小さな声で目の前の背中に話しかける。


「こいつが、幻想郷の最高神だ。」
その言と同時に青年は軽く数歩を横にして、視界を空けた。


・・・!


この子が幻想郷の・・・?



視界の先には、洞窟の行き止まりだった。

そして、地面にはすっぽり被るような大きな白い羽衣を着て、
中国の皇帝が被るような大きな冕冠を被り、
腕を枕にして、腰を上げて前のめりに、
正座をそのまま前に倒したような格好で寝ている
男の子か女の子かわからないような中性的な顔立ちの子がいた。

そして、すうすうと軽い寝息を立てて爆睡していた。
大きな黒い帽子を支えた小さな水色の髪の頭が軽く上下している。


何この子・・・かわいい。


じーっと穴を開けるようにその子を見つめていると、
その子は軽く目をこすって大きな赤い瞳を開けた。 


「・・・んむ、誰・・?」
「おい、そろそろ起きろ。やっぱり寝てたのか・・。」


青年は、その子の青い髪を纏った小さい頭をこつんと軽く指でつついた。

その子は軽く身じろぎした後、
はっとしたように体を起こして、大きな冠をいそいそと直した。

そして、取り繕うように口をパクパクさせた。
小さな身体を起こすと、
その体躯に合わない大きな白い衣が床を軽く擦った。


「・・・よ、ようこそ、我が龍神じゃ!
 一体どうしたんじゃ?籠と・・少年。」



・・・ごめん、すっごくかわいい。


とても幻想郷の最高神とは思えないんだけど・・・。



「・・・その様子だとどのくらい寝てたんだ?」

「そうじゃな・・・一ヶ月ほど前に寝たのじゃが、
 どれほど寝ていたかはさっぱり・・・・。」


ぽりぽりと頬を描きながら、とろんとした目で言う小さな神様。

どうやら、ばかでした。


「・・・ところで、そちらは何用か?」


ぽえーんとした、まだるっこい表情で訊く小さな神様。
くりくりした大きな赤い瞳がこちらを見つめてくる。


だめだ、かわいすぎて何も考えられない・・・!




「雨を止めてくれ。出来れば今すぐ。」

そんな中、青年がその思考を遮るように冷徹に言い放つ。
まるで、砕氷船が小さな氷を砕くように。


「・・・ほう?」


彼の言葉と同時に、大きな赤い瞳が吊り上がり、
その上の眉がぴくっと動いた。


もう、さっきのような面影は跡形も無く消えていた。
感じるのは、風が背中を掴むような恐怖感。

殺気とも違う。

強いて言うのなら、嵐が近づいている感覚だろうか。
息苦しいような、静かなあの感じだ。


「・・・気を荒立てるな。とりあえず要求を通させてくれ。
 幻想郷中の人妖がこの雨で困っている。
 さて、どうするよ、『幻想郷を司る龍神様』?」


怯みもせず、含みたっぷりに言う青年。
もしこれが普通の青年ならば、何も感じない者なのだろう。



「・・・では、我の要求も通してもらうぞ。」


容姿も様子も変わらないのに、今はかわいいなんて思えない。
威厳に満ち溢れた、大自然そのものを目の当たりにしているようだった。



・・・今この子が龍神様というのは、納得できる。
もう、小さくもなかった。


緊張の面持ちで龍神様が口を開くのを待つ。



「そうじゃな、ひとつ『長雨』とかけて歌を詠んでくれるか?」

「了解だ。俺の横にいる少年がそれをやってくれる。」



とても素早いリレーで俺に爆弾が回ってきました。
しかも、今にも爆発しそうなやつが。

横目で青年を見ると、軽く手を合わせていた。


なるほどね・・・そういうことだったの。
自分は苦手だから俺をわざわざ呼んだのか・・・。


それにしても、この青年にも苦手なことがあったんだな・・・。
人間みたいに、欠点もやっぱりあるんだな・・・。


最初俺が思ったより、彼は身近な存在のような気がする。

いっぱい協力してもらったのだし、恩を返す所はここだろう。
だから、彼の代わりに和歌を詠めば良い。


・・・まあ、俺だって決して出来ない訳じゃないけど、
特別に訓練した人間ではないからな・・・。
むしろ、ここの標準の人間に比べると圧倒的に不利だ。


元居た場所の人間誰もが忘れかけている、
「季節の細やかな変化」を俺が
幻想郷人ほど繊細に、うまく表現できるはずが無い。




でも、やってみないことには始まらない。




「・・・お任せください。」




俺は、大きく頷いた。




龍神様は、ちいさな口の端をくいっと上げた。








お題は「長雨」。

梅雨って・・・今の季節では無いよな・・・。
じゃあ、今の季節じゃないことを強調すれば・・・。

今は四月。四月の花を使えばうまく季節を表現できるな。



・・・あ!待てよ、頭で雨とかければ・・・!!



その瞬間に頭の中で、まるで電光が閃くように衝撃が駆け抜ける。
頭の中を駆け抜けた光は、一つに纏まって、綺麗な玉になった。


・・よし、これで行こう!





「出来ました。」


「ほほう、早いな。詠んでみよ。」






「夏を誤り
 
 硝子の冷えた矢は
 
 金盞花を打ちつけ

 暑さを取り去る
 
 迷路のような」




紡ぐように、一句一句を切らさずに詠む。
読んでいる間、龍神様は心地良さそうに大きな赤い目を細めていた。


歌が終わると、龍神様は頬に袖からやっと出した
小さな白い手を当てて、目を細めたまま頷いた。


「なるほど・・雨と見事に掛けておるな。
 金盞花は春の花。雨を冷たい硝子の矢にたとえ、
 季節外れの長雨を時期の早い梅雨に見立て、
 『夏を誤る』、『暑さを取り去る』としたわけじゃな・・・。
 人間が僅かな時間で考えたにしては、中々凝った句ではあるの。」


感嘆の言葉を述べて、心から感心するようにしみじみという龍神様。
少しだけ、予想の斜め上を行った事に感心している様子だ。


・・・でも。


「・・・しかし、最後の句が無いように聞こえるのは
 唯一の惜しむらくじゃのう。
 最後の『な』を『だ』に変えたほうが良いぞ。」


少しだけ、訂正のアドバイスも頂いた。
でも、その訂正はいらない。


なぜなら・・・



「・・・最後の句は、折句として表現しました。」



折句は和歌の各行、最初の音を合わせると
隠された意味が出てくる表現技法。

・・・俺は最後の句を隠す目的で、折句を使った。



この句を全てひらがなにするとこうなる。


なつをあやまり
がらすのひえたやは
きんせんかをうちつけ
あつさをとりさる
めいろのような


一文字目を縦に読むと、「ながきあめ」。
すなわち、「長き雨」。




つまりこの歌は

夏を誤り
硝子の冷えた矢は
金盞花を打ちつけ
暑さを取り去る
迷路のような
長き雨

が、本当の歌となる。





俺がそれを言って、龍神様は少し考えた。
そして少しすると、突然細めた大きな赤い瞳を見開き、
こちらを信じられないといった様子で見つめた。


「・・・こ、これは一本取られたの・・・!!
 その様な意表を突く物を潜ませていたとは・・・!
 さすがじゃ!籠が見込んだだけの事はありおる!」
 

・・・やった・・・!
という事は・・・これって大成功!?


「・・・ちと、しゃがんでくれぬか?」


一人でじーんと感動にふけっていると、
突然そんな事を龍神様は言い出した。


・・・え、何でいきなり・・・?


困惑しながら言われた通りにしゃがむ。

そして、龍神様は立ち上がりこちらに歩み寄ってきた。
すっすっと衣が地面を擦る音が聞こえる。

布擦れの音は俺の目の前で止まった。





「・・・これは褒美じゃ。」




・・・次の瞬間、柔らかいものを押し当てられた感触を頬で感じた。



「・・・?」


・・・一瞬、何が起こったのかわからなかった。


・・・でも、その意味を理解した時には、もう遅かった。




「・・・え!!!?」




顔が燃えるように熱かった。
頬を触っても、同じように熱い。

頭がぼーっとして、真っ白になった。
ぐるぐる同じところを回っているかのようだった。




俺にとって、初めてだったのだ。





「・・・籠、少年。雨は止ませておいたぞ。
 ・・・もう戻ってくれて構わぬ。
 素晴らしい句を、有り難く受け取った。」


「ああ、正直・・・俺も予想外だ。
 まあ、やる時はやると踏んでいたからな。
 ・・・おーい、帰るぞ。
 って、聞いてないな・・・それっ。」

 

突然、青年に襟を掴まれた。
唐突だったので、目を白黒させた。


「えっ・・・どうしたの?」

「・・・帰るぞ。目的達成だな。」



・・・あ。


・・・完全に忘れていた。
雨を止めに来たんだった・・・!


そうこう考えている内に、
青年は白い魔法陣を地面に描いた。

・・・青年はそこに俺の襟を引っ張って入れ込んだ。


あっという間だった。
まだ、龍神様に何も言ってないのに・・・。


魔法陣に乗った瞬間、意識が遠のいて、
まるで眠りに落ちるような気分になった。












「・・・ねえ。」
「・・・ん?」



二人の青年は、真っ白な階段を下り続けていた。









「これで・・・雨が止んだから皆も収まるかな・・・?
 もう俺のこと、ちゃんと信じてくれるかな・・?」

「・・・大丈夫だ。
 厳密に言うなら命蓮寺に限っては、原因は雨じゃない。」


青年は意味深にそんな事をほのめかした。
一体どういうことだろう・・・?



青年は、そんな俺を差し置いて続ける。


「いくら同じ強さの雨が続いたところで、人は狂っても、
 一時的とはいえ、記憶までは書き換わったりはしない。
 本当に面倒な奴だな・・・『あいつ』は。」



青年は独り言のように呟く。
今訊いても無駄だろう。答えてくれるはずがない。



「・・・あの。」
「なんだ?」



・・・そういえばまだ、青年の名前を訊いてなかった。
もう会えないかもしれないから、訊いておかないと・・・。



「神風 籠(かみかぜ ろん)。」



・・・俺が言う前に、青年は言葉を重ねる。


「今日はありがとう。お前のおかげで異変が解決できたんだ。
 よく頑張ったな。胸を張っていいと思うぞ。」



そっか・・・俺・・・異変を解決できたんだ・・・。
ただ、博麗の巫女の仕事を取って、でしゃばりすぎな気がするけど。 


「それに、龍神の嬉しい『ごほうび』も貰っちゃったしな?」

「なっ・・・やめてくださいよ・・・!?」



からかうように語尾を上げる籠さん。

うう・・・まさかあんな不意打ちを貰うとは・・。
思い出すだけで頬が熱くなってくるじゃん・・・。


「・・ま、何にせよ、お前はよくやったよ。
 もうすぐ出口だ。そろそろ、お別れの時間だな。」

「・・・籠さん。」





「・・・ん?」



「籠さん、ありがとう・・・。」

彼はちょっとだけ頭を掻いて、照れくさそうにした。


「・・・ああ、ありがとう、リア。」




白い光の階段を抜けた。









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「・・・おや?どうしたんだいリア?
 こんな所で空を眺めて・・・。」


ネズ耳の良く知った顔が、
縁側で座っている自分の顔を覗き込む。


「・・・ねえ、ナズーリン。」
「・・・ん?なんだい?」











「・・・空が・・・青いね・・・。」

「・・・ああ。そうだな。」





抜けるような青い空を、もっと遠くを見るように眺める。




皆は夢を見ていたのだ。
狂った悪夢に惑わされていたのだ。




「・・・ナズーリン。」
「・・・ん?」





「・・・やっぱ、なんでもない。」



「ふっ、用も無いのに人を呼ぶ奴があるか・・・。」





彼女は、軽く笑って見せた。





「・・・かみかぜ・・・ろん・・・。」





空に向かって呟いた。








快晴の、ある昼下がりのことだった。