番外編 雨は止まず、天(あめ)は病ます 天

「さあ、目を開けてくれ。」


「ん・・・。」


・・・そんな声と同時に、
うっすらと重い瞼を上げる。



「・・・!?」



少しずつ上がってゆく景色に、信じられないものを見た。



「ああ。びっくりしただろ?驚く勿れ、直通だ!」

両手を広げて、少しだけ大げさに言ってみせる青年。
恐らく、口ぶりから判断して、真面目にふざけている。



幻想的な、非現実的なその光景は、
俺をしばらく呆気に取らせた。



透明にも近い真っ白な空間に、目の前にぽっかりと浮かぶ、
意図的に明暗を付けられた真っ白な階段。

階段の上の方はホワイトアウトしていて、完全に見えない。



・・・たったそれだけで、それだけの場所だった。



そこにあの青年が、階段を二段上った場所に居る。



直通・・・これを上っていけば元凶に辿り着けるのだろうか?

それにしても、こんな物を造り出すだなんて・・
一体、彼は何者なのだろうか・・・?



「・・・まあ、それは上りながら話すから、上ってきてくれ。」



そんな疑念を思った瞬間に、呼応するように青年は言う。

そっか・・心が読めるんだったね・・・。



俺は色々な気持ちを抱えながら、階段の一歩を踏んだ。










「これから会うのは、幻想郷の最高神だ。」

青年の後に続いて階段を延々と上っていると、
彼はふと、こんな事を言った。


「・・・そんな事して大丈夫なんですか?」


彼は、「元凶を叩きに行く」という表現をしたのだ。
要するに「幻想郷の最高神をぶっ叩きに行く」と発言したのだ。

・・そんな事を思うのは、当然だと思う。


「・・・大丈夫だ。外れた螺子を留め直しに行くだけだ。」



彼はそんな比喩を混ぜた表現をして、しれっと言い放つ。
・・正直、不安で一杯だ。


「・・・あと、さっきから俺が何者かって気になっているな?」
「・・あ、はい、まあ・・・。」


・・確かに、気にはなっている。
言動といい、その気構えといい、今まで会った事の無い感じだ。


強い、というのならば丙さんだって強いのだが・・。
彼女とはちょっと別次元な感じではある。

丙さん含め、俺たちは大まかな幻想郷の括りの中で、
そして常識の中でそれぞれに生きている。



地面を蹴って軽く跳べば、少しの間を持って地面に落ちる。
地面を歩けばその分、進む。
時間の中で生活していて、一分は一分。
おなかが減ったら、食べ物を食べる。



彼はそんな、「当たり前」に縛られていないような気がする。


「強さ」というものさしで計れない、そんな表現がしっくり来る。

忘れもしない、小春を守ったあの時、金髪で傘を持った、
空間を掻き裂くようにして現れた女性と同じ印象だ。


・・こんな事を考えているのも、
全て手に取るように見透かされてるんだろうなあ・・。



青年はこちらの考えが一段落したのを見計らったように、口を開く。

「・・・お前の手持ちの言葉で喩えるのが難しいが、そうだな、
 俺のことはおおまかに『神みたいなもの』と思ってくれ。
 ・・それと、俺だってある程度の『常識』の中で生きてるさ。
 その『常識』の一部を自分で書き換えて生活してるだけだ。」


青年は、少しだけ自慢そうな表情でこんな事を言う。



俺は「常識の一部を書き換える」という表現に、深く納得した。
確かに、そういう見方をすれば・・・説明がつく・・・のか?


・・・わかりそうでわからないな・・・この人は・・。

神みたいなもの・・・という事は、神そのものではないのか・・・。
まあ、本人がそう言うし、神と思っても差し支えは無さそうだけど・・。





今こうして考えて、話している間にも、延々と続く階段を上っていく。



・・・しかし突然、青年は、はたと足を止めた。

そして、こちらを振り返ると、歯を見せて笑い、こんな事を言った。




「・・そういや、一つ、いい事を教えてやるよ。」

「・・いい事・・?」




一体何を言うつもりだろうか・・・。

緊張の面持ちで、彼が言い出すのを待つ。



「・・・お前の意識の中、元の世界に帰りたい、
 そんな願望が、随分と奥になってきてるな。」

「・・・っ!!?」



突如、その言葉と同時に頭をハンマーで
思い切り打ち付けられたような衝撃が脳内を走り抜ける。



・・・図星だった。
図星なだけに、なおさらショックだった。

確かに・・・帰るという意思が日に日に薄れている。



命蓮寺の人へ恩返しをするまでは、帰れない。



そんな事を、「帰るまでの時間稼ぎ」に使っていたような気さえするのだ。
本心のはずだけど・・改めて訊かれたら、自信を持って答えられない。


もしも帰るつもりならば、増築の際に
自分の部屋を作ると持ちかけられた時に断っていたはずだ。



・・・俺・・・最低だな・・・。


自責の念と一緒に、目頭が熱くなってくる。
上を向くと、一面の白に紗が掛かっていた。



「あー・・・そんなこの世の終わりみたいな顔をするなって。
 はっきり言って、幻想郷に来て五ヶ月でこれは結構もってる方だぞ。
 ・・・それよりも、一つ話させてくれ。心に留めて欲しいことがある。」



心に留めて欲しいこと・・・。
俺は黙って、頭を軽く下げた。

小さな一粒の涙が、頬から落ちた。


目の前の青年は、軽く口の端を上げる。



「最初に、一つ簡単な質問をするぞ?
 ・・どうだ、今すぐ『元の世界に帰れる』としたら、帰るか?
 すぐに命蓮寺の皆を置いて『帰る』と言えるか?」





・・・頭の中が、真っ白になって、周りと一緒になる。
自分自身が、周りと溶け込んでしまいそうだった。




「どうして答えないんだ?お前がここに来てから、
 ずっとずっと望んでいた事だろ?目的だっただろ。」


青年は悪戯っぽい笑みを崩さずに、問いを続ける。
でも、俺にはそうは見えなかった。


まるで、鋭利な刃物を突きつけられているような、そんな感覚。


俺は、口をへの字にして黙っていた。
自分を守る、それに似た錯覚を抱きながら。


「・・・意地悪な質問だったな。悪かった。
 でも、これでわかっただろう?お前は、『いつでも帰れる』んだよ。」


・・・。


青年は、ふっと口を元に戻し、
今度は優しくこちらに語り掛ける。


「それと同時に、帰るのは至難の業だ。
 ・・・わかってない顔をしているが、よく考えてみろ。」 


・・・青年の言っている意味が良くわからない。
いつでも帰れるのに・・・帰れない・・・?



「不慮の事故でも、誰かによる意図的なものでも、外の世界から外の者が
 幻想郷に入る事を『幻想入り』と呼ぶんだ。神隠しとも言うな。
 ・・で、『幻想入り』する・・これがどういう意味をもつのか。」


青年は、一呼吸置いて、はっきりと告げた。
でも、その間は、とても長く、遅く感じられた。


青年は、まだ続ける。

・・今度は小さい子を諭すような、優しい口調で。


俺は、その間にも、ひたすら青年の
言葉の意味をずっと噛みしめてわかろうとしていた。

・・わかろうとしていただけで、彼が言うまで答えは出なかった。


「・・・それは、元の世界の者から『忘れられる』事を意味するんだ。
 ・・そう、お前も忘れてきている。その一つの段階として
 『帰りたい』という意思が薄れてきている。
 それは、ここに来た奴の運命だ。逃れる事なんか出来ない。」


一瞬だけ、青年は上を見て視線を戻した。


「・・だから、お前がここが心地良いと思い始めてきてるのも、その影響だ。
 ずっといたい、家族みたいだ・・そんな感情は、すり替えなんだよ。
 両方とも、以前は元の世界にそれを見出していた事だ。
 だから、幻想郷に来た奴は、大体そこで死ぬか永住するんだよ。
 要するに、『幻想入り』すると帰れないんだ。大体はな。」


青年は息一つ乱す事なく、そんな言葉を言い切った。
一つながりのその言葉をわざわざ切ったのは、
自分に考えさせる為だろう。


あっという間だ。
全部、流れていくように耳に入っていく。
 

全部、染み込むように頭に溶け入っていく。





人間は弱い生き物だから・・・。
そんな形で片付ける話ではない。



彼の言葉によると、
幻想入りしたら帰る意志が薄れてしまうらしいのだ。

俺の場合、「妖怪化」という時間の制限が掛かっている。
妖怪化した状況で、元の世界なんか戻れない。

・・でも、それすら忘れて「恩を返す」という、
一見道理に適った「時間稼ぎ」をしているのだ。



一言で言うのなら、自分を完全に騙しているのかもしれない。

自分に嘘をつく。


そんな言葉があるが、その嘘が完全に自分の視界を覆っているのだ。
今考えると、そんな風にも思える。





・・・・でも。






命蓮寺の皆さんは家族のようだ・・
ここの人は温かい・・・
すごく幻想郷は住み心地が良い・・・



それは全部、頭の中で作られた偽物の感覚なの・・・?



俺は元の世界に戻る気なんて無かったの・・?
ここで、一生命蓮寺の厄介になるつもりだったの・・・?



・・・じゃあ、恩も返さずに帰っていいの?
・・・でも、ずっと命蓮寺で迷惑になっててもいいの?




そんな事を考えると、本当にわからなくなってくる。
だって、本心のつもりなのに・・・・。





「・・・・・俺は・・・どうしたら・・・。」




涙と自分に対する嫌悪で、ぐちゃぐちゃになった頭を、
優しくて、大きな温かいものがぽんと乗る。


「・・・焦んなくていい。時間は少しならあるんだ。
 だから、結論が決まったら、遠慮なく俺を呼べ。な?」
 


彼は俺に目線を合わせて、歯を見せて軽く片目を瞑った。


「・・・・。」



・・その瞬間に、初めて彼に「親しみ」を感じた。


今まで、どこか別次元のものを見る目で彼を見ていたのだ。


あたかも、絵本で見るヒーローのような、
そんな完全な虚像の様な物を、ぼんやりと見るような目で。




・・でも、それは違う。



・・彼は完全無欠の神様なんかじゃない。



喩えるのならば、「面倒見の良い、年の離れたお兄さん」だ。

小さい頃、どれだけその背中が大きく見えただろうか。
どれだけ、頼もしかっただろうか。



・・・それが、今の俺にとっての「彼」だった。






「さあ、階段があと少しだから上りきろう!」

「・・・ああ、悪い神様を懲らしめちゃおう!」







俺は、笑顔で歯を見せて、軽く頷いた。
彼に、初めて「タメ口」を使った。











「答え」は、まだ見つかっていない。









つづけ