番外編  雨は止まず、天(あめ)は病ます  宙

「面白そうだな、少年!ちょっと混ざるぞ!」


突如、そんな言葉を引っ提げ命蓮寺の人の輪の渦中に降り立った、
俺より少し年上のラムネの小瓶を片手に据えたお兄さん。



全員が唖然となった一瞬。



この状況で渦中に混ざる狂気。
この状況で渦中に混ざる自信。

その中で、ラムネを片手に口に当て、それを傾ける。


皆が唖然としている中で、それをこの青年はやってのけた。
青年だけが、ラムネを飲むという「動作」をしている。


一人だけ、時間を止めて動いているかのように。


この様相から少なくとも、
目の前の青年は只者ではないことだけはわかる。



青年は透き通った空瓶を天に放り投げると、こちらに接近した。










青い空瓶は、まだ宙にある。









ある程度近づくと、俺とののに向けてこんな事を言った。

「・・今から役割分担をする。
 お前たちのやりたい事はわかった。」


青年は、横の紺のぱっつんに近づいた。











青い空瓶は、まだ宙にある。









「・・いいか、今からお前は、あの全員を相手してくれ。
 そして、誰一人、怪我を負わせないでくれ。
 わかったか?のの。」

「・・・はい。」


青年は何も込めずに、淡々とそんな事を言った。


困惑と畏怖の混ざった虚ろな瞳で、
少女は青年の頭の後ろを見つめながら小さな声で言う。



彼が何故彼女の名を知っているのか。
彼が何故彼女の力量を知っているのか。
彼女が何故彼に逆らえないのか。


そんな感情すら、根底から凍り付くような状況だった。
考えることすら下らないのだ。


次に彼は、俺の方に歩を進めた。











青い空瓶は、まだ宙にある。









「・・・リア。お前は、出来るだけ全員と刃を交えろ。 
 俺はちょっとやることがある。その間だけでいい。
 絶対に死ぬな。これは、必ず守って欲しい。」




そんな事を言い残し、彼は中空に風を残し、消えた。







同時に、青い空瓶は草の上に鋭い音を立てて粉々に弾けた。
透明な、綺麗な、ガラスの乾いた蒼が草の濡れた碧に広がる。






その瞬間に、全員が我に帰った。



頭の中で、あの言葉がリフレインする。


「絶対に死ぬな。全員と刃を交えろ。」

「「少しの・・・間・・」」





リフレインする声と俺の声が重なり、俺は素早く、
砕け散ったガラス片と天の黒を混ぜた色の刀を抜いた。






次の瞬間には複数の影が頭の中に錯綜し、
わけもわからず迫り来る攻撃を全て弾いていた。


どれが敵で、どれが味方かわからない。



それは違う。味方はのの一人であって、外はみんな敵。
だから、ほとんどは敵だ。




・・違う!!何を考えているんだ・・・!





敵なんて・・・この中にひとりも居ない・・・!

・・みんな、大切な恩人だ!




「晩秋さまっ!!後ろです!!」
「うわ・・・っ!!」



ののが発した声の通り、後に剣を構えた瞬簡に強く弾かれる衝撃があった。



深水で受けて、強く弾かれた感触なのだ。



不意に、目の前を横切った赤いラインの残像。
その残像に合わせ、拳を受ける。


受けきれずに、刀ごと地面に弾き返され、
体制を崩してしまった。



視界の隅に映ったのは、少女の手。


間違いない。これは・・・




「・・もし良かったらどいてくれるかな?」
「嫌です。晩秋様は私が守るのですから。」


下がった視界から上を見上げると、
丙さんの拳を花弁のような手袋で受け止めるののが見えた。


俺は咄嗟に立ち上がった。

彼女に加勢したかったが、それは適わなかった。
また視界の端に黒い影が映ったからだ。


その一瞬の隙に刀で流し、得物を掴む。



それは、黒いロッドだった。



掴んだロッドを辿ると、その先に眼光鋭く
こちらを見据える少女の顔が目に入る。


・・いつもの、いつもの、どこか悪戯っぽい優しい顔ではない。


突然、背中を寒い風が駆け抜けるような気分に襲われた。
冷たい手が額や脇腹を撫でさするような感覚。


ああ、彼女は・・・俺にこうして殺意をみなぎらせて・・・






・・・でも、裏返せば俺を取り戻す為に必死になってくれてるんだ。
勘違いしてるなら・・・わからせてあげればいいんだ。


彼女の顔とは対照的に、穏やかな様子で話しかけた。
両ロッドを、全力で抑え切りながら。



「・・・ありがとう。」


「・・・・何のつもりだ・・黙れ。」



彼女は尚も、語勢を強くして凄む。
彼女のロッドを持つ力がだんだん強くなっていく。


俺は、その何倍もの力でそれを押さえ付ける。


ふと横を見ると、紺髪の少女が八人を一手に引き受けていた。
・・・心配は・・要らないな・・・。



「・・・ねえ、覚えてる?」
「・・・うるさい・・黙れ!」



あえて手の力とは裏腹にゆっくりと、はっきりと彼女に語りかける。
彼女はそれを拒むかのように、声を荒げる。


・・もう、彼女の声に余裕は微塵も無かった。





「・・・ん?参拝客か・・・私に何か用かい?」
「・・・・・っ・・!!!?」







そう。彼女が俺に投げかけた「最初の」言葉。
ゆっくりと、低く、そんな言葉を言う。




彼女が目を丸くすると同時に、ロッドを掴む手が緩んだ。

・・俺も、それに合わせて力を抜く。




どうして覚えていたのかはわからない。


・・でも、頭に浮かんできたわけじゃない。
最初から、記憶としてそこにあったのだ。






「・・・何だ。その目は。話しかけておいて
 いきなり黙ることはないだろう・・?」

「・・・そんな事っ・・・言って・・・。」






・・・彼女の手が更に緩む。
もう、普通の人間の腕力とさほど変わりは無い。


確実に、動揺している。
彼女も、それを覚えていたのだ。



・・・そう、あれは五ヶ月前の記憶。




初めてこの幻想郷に来て。
シャクナゲさんに泊めてもらって。
命蓮寺を紹介してもらって。


そんな経緯で、彼女と出会った。


最初は、小生意気な印象だった。
思ったよりも、声が低かった。
思ったよりも、打算的だった。


・・でも、どこか優しかった。


何故か、そんな事はしっかりと覚えている。





「・・・ナズーリン。」
「・・・・。」






俺は、ゆっくりと掴んだ両ロッドを離した。



・・でも、彼女は攻撃を加えることは無かった。
同じように離して、こちらを見つめていた。


さっきのような、殺意に満ちた目ではない。


・・・いつものナズーリンの目だった。

まるで、夢から覚めたような・・そんな表情で。




俺は、軽く手を差し伸べた。








その手を小さな手が、きゅっと握った。





「・・・リア・・。」

「・・・やっと、俺を見てくれたね・・・。」



小さな手は、温かくて、優しかった。
一番誤解を解きたかった人の誤解が解けた。




・・・ところで、何か忘れているような・・・。






・・・ののだ!


そういえばさっきからガキンガキン
金属音が聞こえてくると思ったら・・。


すぐに視線をそちらに向けると、激戦を繰り広げていた。


・・・一人で、淡々と七人と戦う彼女は凄かった。
まるで全てを受け流すかのように戦っていた。


一人だけ、丙さんは攻撃ペースが全く違ってるけど・・。


そして、ぬえは近くの木陰で暇していた。



「・・・リア・・あれは・・?」


ナズーリンが不安げにそんな事を訊く。

・・って、ちょっと待ちなさい。
お前さっきまであのポジションだっただろ。


今から行って誤解を解くように、
そんな事を言おうとして、口を開いた瞬間だった。


目の前に、「あの」青年が現れた。



出現した。そんな表現がしっくりと来る。
まるで虚無から湧き出るように・・。


そして、やはり片手には新しいラムネを補充していた。
その様子を見る限り、単なる執着じゃなさそうだ。


その青年は、ざっくばらんな様子で笑顔で話しかけてきた。



「・・・おー!お疲れおつかれ。準備完了だ!
 道を開いてきたからリアは俺に付いてきてくれ!
 元凶を叩きに行くぞ!」



・・・え?この人何言ってるの・・?

元凶を叩く・・・?
道を開いた・・・?

・・・言ってる意味はわからないけど、
その言葉には妙な説得力があった。


拒むのが許されないような、そんな感覚。



俺は軽く頷いた。



「あと、横のナズーリン
 お前はあそこで戦ってる連中にこう言ってくれ。」



「わわっ・・・?何だ・・これは・・?」


青年が言い終わる瞬間、
ナズーリンが突然頭を押さえて動揺しだした。


こいつ・・彼女に何を・・・!?


 
「・・・ああ、安心してくれ。
 言う内容を映像にして脳内に転送しただけだ。」

「えっ・・?」


青年は、こちらの考えを見透かすように説明を始めた。
心が読まれている・・・ってこと・・?


・・・・でも、やっぱり、この人だから出来るのだろう。
そんな考えを余儀なくされる事になる。



「・・・さあ、この魔法陣に触れてくれ!」


彼がそう言うが否か、
俺の目の前に光る白い魔法陣が現れた。






・・・彼は・・・一体・・・?







そんな事を心の片隅に置きながら、俺はそっと魔法陣に触れた。




これから起こる出来事への不安。
ナズーリンやののなら大丈夫という期待。


それら全てが、一緒に浄化されて、漂白されていく。






意識が遠のいていく・・・・。





つづけ