番外編  雨は止まず、天(あめ)は病ます  空

「晩秋様っ、大丈夫ですよ!話せばわかります!」

「・・・うん・・。」




命蓮寺への帰り道、俺とののはぬかるんだ砂利道、
のしかかるような灰色の雲を背負って二人で歩いていた。



雲間からは薄い太陽が見える。


ののの小さい、緑のランプの付いた黒い腕輪のある手は
俺の大きめの手を引っ張る。






・・・そう、これから待つもの。


・・もうすぐしとしと雨は、小石を押し流す土砂降りに変わる。









二人で歩いていると、命蓮寺の門が見えてきた。



・・いつもと違って、門や塀が高く、固く見える。






「・・・のの、もう傘はいいよね。」
「うんっ、だいじょうぶですよっ・・。」


小さめの傘を閉じ、ののが持っている袋を取り上げる。





雨も風も、気持ち悪いくらいに止んでいた。
雲は黒さを増し、ますます息苦しさを増していく。




・・・・意を決して、門をくぐった。






ゆっくりと、深呼吸。
心を落ち着けて・・・





大丈夫だ、大丈夫だ。




中には敵がいるんじゃない。


命蓮寺の、いつもの優しい皆がいるんだ。


ナズーリン、ぬえ、ムラサさん、小傘、寅丸さん、丙さん、
聖さん、彼我さん、一輪さん。


・・そしてもう一人の俺である、小春。




話せば、絶対に分かり合える。
・・・今はちょっとすれ違っているだけだ。






・・・俺は命蓮寺の引き戸をゆっくりと開けた。
















ビュッ


「・・・リアを出せ。早く。」









「・・っ・・!?」


・・入るなり待っていたのは、
ロッドをこちらの首元に突き立て、
見たこともない形相でこちらを睨むネズミの子。



・・その予想だにしない彼女の行動に、目を白黒させていた。




・・・騒ぐな。落ち着け・・・俺。


こういう時に、無駄な反発をしない。
無駄に事を荒立てない。




もう一度、深呼吸。






・・今度は、心臓の早鐘は鳴りを潜めることはなかった。





「・・・ナズーリン、俺だ。」

「君は、私の名前を呼ぶな。リアの名を騙るな。
 私の前にリアを出して、早急にここから出て行ってくれ。」



・・冷たい、冷たい、底冷えのする声。



「・・・よく見てくださいっ!!
 正真正銘、リアさんですよっ!」




ぴしゃりと言い放たれた、
ののが発した高い声の叫びで俺は我に帰った。



ナズーリンは尚も眉をひそめ、俺の少し横に視線を刺す。



「・・・君に何がわかるんだ?彼はどう見ても偽者じゃないか。
 よく似せているつもりだろうが、私からしてみれば・・・」

「うるさいっ!!晩秋様をこれ以上偽者扱いしたら私が許しませんっ!!
 何を根拠に言っているのかわかりませんが・・・あなたは敵ですっ!!」


恐ろしく声を押し殺し、怒りに満ちたナズーリンの声に、
ののは普段のおっとりした言動からは想像も付かないほどの大声を被せた。


「なっ・・!?どうして君はそんな偽者に肩を持つんだっ!?
 よく見てくれ・・・っ!!彼は・・・リアなんかじゃない・・・っ!!」


何かを訴えるような目で俺を見つめ、必死に声高に言うナズーリン



・・・どうして・・?






・・どうして、彼女は俺を見ようともしないの・・・・?





「・・・ねえ、リア君をどこにやったか教えて欲しいなっ?
 私もね、手荒な真似は・・・あんまりしたくないんだ・・・。」




明るい声調の裏に、どす黒い影。

そんな声が、突如として真後ろから聞こえてきた。



「・・・丙さん・・・っ?」


いつの間に・・・背後に・・?
さっきまで気配も感じなかったのに・・・!






「・・・晩秋様っ!!逃げましょうっ!!!」





突如として、彼女の悲痛な叫びが辺りに響き渡る。



・・そして、金切り音と同時に、爆音が響き渡った。











・・・次の瞬間には、景色は木造りの玄関ではなかった。


周りを見回すと、林道のような場所。
雰囲気は樹海や森林というより、里山のそれに近い。


雨で濡れた湿った木の葉が、
新しい雨に打ち付けられる音がひたすらに聞こえる。


ここに何故か雨は当たらない。
薄い何かの膜が上に張ってあるからだろう。



「・・・え・・?」



横には、妙なピンクのボールを手に持っているぱっつんの少女。


少女の腕と首には、
もうあの重々しい金属の輪は着いていなかった。


「・・・瞬間移動です。このボールを使いました。
 ここは、妖怪の山のはずれにあたります。
 さすがにあの状況で晩秋様を守るのは限界なので・・・ね。
 ・・・今ので全部わかりました。説得は、私達では無理です。
 完全に、晩秋様だけを偽者だと思っています。」



・・・なるほど・・・しかし、瞬間移動を使ったとはいえ、
よく丙さんを相手に逃げることが出来たな・・・。


しかも、道具も道具だ。
瞬間移動が出来たり、雨よけを出したり・・。

とても河童の技術の及ぶところではない。
もちろん、元いた世界の技術も到底それに及ばない。


さすがは、文明開化のために乗り出してきただけはある。



・・・状況はなんとなく整理がついた。



突然、皆が俺の事を偽者だと思い込み始めた。
でも、それは俺からすればの話であって・・・。



「・・・ねえ、俺たちがおかしい、なんて事はないの?
 例えば・・俺が攻撃されてると思い込んでいるだけとか・・。」


そもそも、狂いだしたのは俺の方かもしれないのだ。
命蓮寺全員がいっぺんに狂いだすなんて、かなり不自然な話だ。


「・・・そんな事はありません。私にはわかります。
 証拠は・・・私が機械の身体だから、でいいでしょうか・・。」



 

・・・・うん?



「・・・あの・・・今なんて?」




「・・・あ、そうですよね・・・
 ・・私、こう見えても機械なんです。」



・・・へ・・機械・・?


この、少し恥ずかしそうにこちらを見上げて頭を掻いてるこの子が?
確かに服装はそれっぽいけど・・・いくらなんでも・・・。

だって・・・。


「・・・確かめてみてください。」



俺が激しく困惑しているところに、彼女は近寄ってきた。


「・・・し・・・失礼します・・。」




白い突きたてのお餅のような、
かわいくてまるいほっぺを軽く触ってみた。



ふにふにと、柔らかい、見た目通りの感触が伝わってくる。
さわり心地はつるつるお団子、もみ心地は食パンの白い部分。


「・・・どうですか?」
「・・駄目です・・・。」



・・こんな感触、誰かの手で再現できる訳ないじゃん・・。


「・・・じゃ、じゃあほら!髪の毛!」


ののは自分のしなやかでつやのある
紺色の髪をすっと引いた。

・・そして、俺に手渡してきた。




「あの・・・毛根まで綺麗に再現されてるんですが・・。」
「そんなっ・・・・!?」




・・とても綺麗な、作り物にはまったく見えない髪だ。
これだけでは、判断なんて出来ない・・・。

・・カツラの毛だって、もっと作り物っぽい。




「・・・むー、じゃあ、胸に触ってみて下さいよ・・。」
「はーい・・。」


今度は、そんな提案をした。



やれやれ、胸なんて・・・ん・・?



・・・えっと・・・。






「・・ちょっと待てえーーーーーーぃい!!」
「えっ・・?」


目を白黒させて驚くのの。
その発言は、こっちがびっくりです。




ののちゃん、あのね、俺、男子高校生なの。」
「・・・それが・・どうかしましたか?」


どうかしたかじゃねえよ。
平常心保ってらんねえよ。
ちょっとまってよ。何考えてるのこの子。


・・・どう見てもタイトな服を張らせた
アルファベットで言うと六番目くらいの物に触れられませんよ。



「・・・言わんとしてる事はわかりますけど・・。
 まさか、機械なんかに興奮してませんよね・・・?」

「・・・ははっ、まさか、俺が機械にゃんかに触れて
 平常心が壊れるほどの理性だと思っていましゅか?」



・・呂律が回らないのは、雨のせいです。(断言)






















「・・・えっと・・・その・・触る・・よ・・?」
「はい・・・。」








雨を避けた林道で、青年は幼女の身体に触ろうとしている。






どう考えても犯罪の現場です。


どうしてこうなった。




・・ののさん、顔を赤らめられたら究極にやり辛いです。
なんだよこの機械。どんだけ精密なんだよ・・。



・・ゆっくりと、俺の手がその小丘に触れる。
ぎこちない動きで、その小丘の頂を軽く押す。


「んぅっ・・・。」


少女の口許から、形容しがたい息とも声ともつかぬものが漏れる。

・・頼むから黙っててください。切にお願いします。


機械だ・・・こいつは機械だ・・・・。
頭の中ではわかっている。




わかっているのに・・あったかくて、やわらかくて・・・。




「・・・んっ・・・ふぅ・・・。」


恍惚の表情で片目を閉じて、
もう片目を細めて息を口から漏らす少女。


自分の心臓が鳴る音が聞こえる。




・・・なんだか・・・だんだん俺も・・・。




・・・って!危ない危ない!





「・・主目的を見失ってるよっ!!俺がっ!
 やめよう、本当にやめよう!」


・・俺は慌てて彼女の双小丘からぱっと手を放した。

あ・・あぶないあぶない・・・。
危うく理性を失うところだった・・。




・・・彼女も、開ききった口を戻して、我に帰る。


「・・・す、すみません・・私もつい・・・。
 で、でもこれでわかりましたよね・・・?」


「ごめん、全然わかんない。」

「な・・・何でですかっ・・・!?」




だって、どう考えても・・・ねえ?
あんな反応にあんな感触・・・・。


そんな旨を彼女に伝えると、愕然としていた。


「小邪さまのばか・・・どうして私を機械と識別可能な
 身体にしなかったんですか・・無駄に凝り性なせいで・・。」



・・がっくりとうなだれて、呟くようにそんな事を言う彼女。



・・まあ・・・確かに確認は出来なかったけど・・




・・俺はしおれたその小さな花飾りの付いた頭をそっと撫でた。
滑らかな肌触りのその頭は、軽く上に上がる。


「・・・大丈夫、信じるよ。」


「・・・晩秋さま・・・。」


・・・濡れた目を輝かせて、こちらを見上げるのの。
その瞳は、嬉しさ一色だった。



だって、疑う余地なんて無い。
彼女は、俺についてきてくれた。
俺を信じてくれた。

小春と意見を違えてまで、こちらに付いてきてくれたのだから。

彼女にとって、小春は太陽だ。
でも、そんな小春を押し切って、
正しいと思う方に来てくれたのだ。


だから、彼女が嘘をつくなんてありえない。





だから、ののは機械の身体だ。
根拠は、「ののがそう言った」からだ。


それ以外に、何の理由もいらない。




・・もう一度、今度はくしゃっと彼女の小さな頭を撫でた。

・・彼女は、軽く目を細めて表情を緩めた。






「・・ところで・・どうやって、皆さんを正気に戻しますか?」
「・・・あ。」


・・頭を撫でられながら、そんな一言をののは発した。
俺は彼女の小さな滑らかな頭から手を放した。




そう、今直面している問題・・。


皆が俺を偽者だと思い込み、
本物をどこかに隠してると思っている・・・。


これを何とかしなきゃ、迂闊に命蓮寺に帰れない・・。



・・・皆は根底から記憶を違えてるんだよな・・。
記憶の欠落、記憶違いなどではなく、
一種の洗脳じみた何かだろう・・・。


少なくとも、そうでなければ
全員が全員、同じ認識というのも考えがたい。



・・・この長雨に原因があるのかな・・・。


これで、一ヶ月間にもなる長雨。
ずっと、一定の雨量でしとしとと振り続けている。

梅雨とは縁遠い、この四月にだ。


本来、春の芽吹きが感じられるはずの、この林道も、
透明な矢に晒され、憔悴しているように思う。


だから、本来は・・・


「・・・!?」

・・考えている途中に、背後に妙な気配を感じた。


ののもそれを感知したようで、そんな気配が伝わってくる。


後ろを振り向くと、見覚えのある人たちがいた。




「・・・やほっ。リア君のそっくりさん?」
「のの、目を覚まして戻って来い。そいつは偽者だ。」
「・・・君たち、僭越ながらリアを返して頂けないだろうか・・?」
「無駄な抵抗はやめて下さい。この威光が、容赦しませんよ?」
「あなたは味方だと思ってたんですが・・残念です。」



・・・気が付いたら、囲まれていた。


どうしてここにいるのか、何て疑問はくだらない。
何としても、探し出したのだろうから・・・。


だって、あいつは自発的に何かを探すときは
どんな手段も厭わないのだから・・・。
何としてでも、見つけ出そうとする。

それが、彼女だ。



・・・とても嬉しかったけど、とても悲しかった。




いつも暖かくて、優しい皆が、俺とののを取り囲んでいた。
・・家族のような皆が、それぞれの意思を形にして。


ロッドを斜めに構えたり。
鉾と宝塔を高く掲げていたり。
大儀そうに腕を組んでいたり。
巨大な錨を背負っていたり。
七色の巻物を展開していたり。
雲を背負い構えを取っていたり。
長い白太刀の刃先をこちらに向けていたり。
閉じた紫色の傘の先端を突きつけたり。
腕を軽く組みながら睨み、羽を上下させたり。



・・・行動こそ違えど、彼女らの目的はきっと同じだ。




「・・いいか、皆、二人を絶対に殺すな。 
 リアを幽閉している場所を聞き出すんだ。」



中央のよく見知った顔が、そんな事を言い放つ。
全員が、照らし合わせたように頷く。



「・・・のの・・。」

「・・・こうなっては、仕方ありません。
 晩秋さま、攻撃を受け流して怪我しないでください。
 私が、あなたを守りますから・・・・。」
 

感情を押し殺した高い声がすぐそば、下からする。



・・自分も、腰に差した青い刀身を抜いた。





あなたを守る。

・・・そんな、ありきたりな台詞。


・・でも、どれほど心強かっただろうか。



・・どうせ、深水の能力は封じられているのだから
全ての攻撃を、ただ受け流せばいい。





・・・その瞬間だった。




「「「・・・っ!?」」」



一人の青年が、構える二人の目の前、
緊張の糸を全て引き掻き裂いて、人の円の中に降り立った。






「面白そうだな、少年!ちょっと混ざるぞ!」




ラムネを片手に持った青年はにっと歯を見せて笑った。




つづけ