東方幻想今日紀 七十八話  射抜くのは頭という名の林檎か

流れ落ちる汗。


一瞬の間に生死が決まる。

辺りには緊張感が漂う。

やがて、正対している丙さんが口を開いた。




「失敗したらごめんね?」



いや・・・失敗したら死ぬんですけど・・俺が・・。




きっと丙さんは強く頭を打ったのだろう。

そうでなければ、
弓で人の頭の上のわずか五ミリほどの的なんか狙わない。


どういうことかって?

丙さんとかいうアホがどうやら
俺の頭とりんごの間に位置する板を弓で撃ち抜くそうです。


頭の上のりんごを打ち抜く逸話は確かに存在する。


しかし、それを真似たある小説家は手元が狂い妻を失った。


・・・そんないやな記憶が脳裏によぎった。



「丙さん、りんごを射抜くんですよね?」
「いや、聞こえなかった?その下の板だけど?」


・・・いや、聞こえました。

でも俺には信じられなかったです。



「・・・よし、動かないでね・・・。」
「・・・はあ・・。」


この後生きてたら丙さんに一喝入れよう。




ほとんど気持ちはまな板の上の鯉だった。

・・・実はちょっとだけ、
こんな酷い状況でも何とかなると思っていた。


自信が無ければこんな事はしない。

・・・だから、きっと彼女なら・・・できるかもしれない。



そんな事を考えていると丙さんが
頭の触角つき帽子から何かを取り出した。


・・・あれ?あの時の筆・・?




そしてその小筆は彼女に手の上で瞬く間に弓と化した。

「・・・っ!?」


筆が・・・弓に!?


さらに半ば訳のわからないまま、
丙さんは虚空から矢を取り出し、手に持った。


そして、弓に矢をセットし、俺から数m程の距離を取った。


・・・ところで、丙さんは何でこんな事をしてるの?

・・一昨日丙さんに何やるか訊いたら腹話術だと彼女は答えた。
なのに、何で俺は命の危険にさらされているんだろうか・・・。


たまらず、訊いてしまった。


「丙さん、腹話術は?」

丙さんは弓矢を持って、満面の笑顔でこう答えた。



「弓の方が得意だからこっちにした!」


なるほど、丙さんらしい単純明快な理由だ。



・・・って、アホか!
むしろ下手でもいいから俺を巻き込むな!



・・・そんな叫びも虚しく、丙さんは矢を引いた。


弓が大きくたわむ。

・・恐らく、成功すればりんごが頭に落ちてきて、
軽く頭が後ろに引っ張られるような感触があるはずだ。


・・・りんごが頭に当たるのはちょっと痛いけど、
まあ・・・・死ぬよりははるかにマシだ。


丙さんは俺を見据えた。

・・・その目は他でも無い。

彼女は稀な真剣な眼差しだった。



俺はゆっくりと目を閉じてその時を待っていた。

・・・頼む・・・成功してくれ・・・!




少しして、弓の戻る短い音、かすかに風を切る音がした。



・・しかし、何も起こらない。

予想していたりんごの落下、頭の引っ張られる感覚が来ない。



・・・うす目を開いた。



「・・・リアくん・・・ごめん、失敗しちゃった・・。」



申し訳無さそうな丙さんの声。




眼前数センチ先には矢を掴んだ
紅いラインの入った袖と小さな手があった。


・・・一瞬何が起こったのかわからなかった。


「・・・えっ・・。」



・・しかし、少しして事態が飲み込めた。


今起こった事を説明すると・・・




・・・彼女は確かに矢を放った。


しかし、的を外した。
矢が僅かに俺の頭側に行ったのだろう。

そして、外したと判断した瞬間に一気に移動して矢を掴んだ。
勿論、矢より遥かに素速く動いてだ。


簡単に説明するとそんな所だが・・・



どこかで読んだ本では、矢の速さは時速200kmにもなるそうだ。

勿論それは人間の引く力での速度。

丙さんのことだから、手加減して
その三倍くらいの力で引いたのでは無いだろうか。


単純に考えて時速600kmとする。


そうすると矢を放った瞬間から0.05秒後に動いたとしても、
最低、時速3600kmで動かなくてはならない。

時速3600kmと言えば旅客機の四倍ほど速い。

また、爆風の拡散速度とさほど変わりが無い。


つまり、この人は爆風から走って逃げられるのだ。



・・・自分で出した結論に驚愕してしまった。


彼女は失敗してしまったが、
違った角度での人間離れした業をやってのけた。




開いた口がふさがらなかった。



「すみません、失敗してしまいました!
 でも御視聴ありがとうございましたー!」

そんな様子の俺をよそに丙さんは恭しく、明るく頭を下げた。
そして、惜しみない拍手が送られた。


彼女はその後俺に向き直り、笑顔でこう言った。

「巻き込んでごめんね。でも・・・ありがとう!」


紅い鳳仙花が咲き誇るような、そんな明るい笑顔。


・・・もう身勝手な行動に対して怒るなんて出来なかった。
そもそも怒りという感情が俺の中から少し前に消えていた。


「さ、宴席に戻ろう。」
「う・・うん・・。」



困惑と驚きを抱えたまま、俺は丙さんと宴席に戻った。



「おかえりー!いやあ・・・よく生きてたね・・。」
「うん・・まあ・・ね。」

戻ってみるとムラサさんがガンガン飲んでいた。


徳利が正直数え切れないほどあった。
数えてみるとおおよそ六、七十本あった。

・・・とりあえず妖怪だから死なないのだろうな・・。


「・・・正直ひやひやしましたよ。
 あなたが死ぬんじゃないかと・・・」

少し楽しそうに言う彼我さん。
若干目が据わってるように見えなくも無いが気のせいだ。

彼我さんの徳利は2本目だった。
多分普通に楽しむ感じで飲んでる。

ちょっと目が気になるけど。


やはり酒は水だ!主張して一気に行く物じゃないと思った。


「しかしリアさん、大変でしたよ?」
「何がですか?」

あまり呑んでない寅丸さんが頬に手を当てて言う。


「丙が射る直前までナズーリンを止めるのに必死で・・むぐっ」
「ご主人っ!!余計なことを言うな!!」


ナズーリンが顔を真っ赤にして慌てて寅丸さんの口を塞いだ。

ナズーリン、どうしたの?」
「何でもないっ・・・!」


ナズーリンはそっぽを向いてしまった。

・・・しかしおい・・・何だこの徳利の数・・。
ムラサさんとほとんど同じじゃん・・。


この人達に酒は水じゃない事を教えてやりたい。


豪快そうなムラサさんはともかく、体躯も小さめで
おとなし・・・くはないけど、
冷静な彼女がこんなに飲んでいいのか?


・・これだけ呑んで酔ってないなんて・・・
・・一体どういう体のつくりをして・・・



「ふーっ。」
「うひああぁあっ!?」


いきなり生暖かい風が耳を撫でた。


「ふふっ。何て声を出しているんだ。
 全く・・・随分と面白いな君は・・・
 ん?もっとやって欲しそうな顔をしているな・・。」

「してないよっ!!」


やっぱり酔ってた・・。

・・いや、そりゃそうだろう。
あまり見た目は酔っているように見えないが、
普段と少し様子が違う。

「・・・ほら、もっと呑まないと損ですよ?」

げ。一輪さんが徳利を持ってきた。

仕方なく徳利を持ってそれを受ける。
・・そして軽く呑んだ。


・・・んー・・何か体が暖まってきたような・・。


若干頭がボーっとするなあ・・・。
まだお猪口二杯くらいしか飲んでないのに・・。


「なあ普段の寺子屋での仕事で疲れているだろ?
 こういう時に一気に羽目外すのも楽しいぞ?」


ぬえが赤ら顔で話し掛けてきた。
珍しく少し浮付いた口調だった。


・・・そうだね。
この機会だし、もう呑みまくっちゃおう。


「よしゃっ!今日は呑もーーーっ!!」


気が付くとお猪口を高く上げてこんな事を言っていた。











後日談になるが、この後俺は大量に酒を飲んだ後、
やたらとセクハラをしたらしい。

何故か矛先がほとんど素面の聖さんだったらしい。

そして下ネタ発言を繰り返してやたらと饒舌だったらしい。
さらに最後まで素面の丙さんと
猥談で盛り上がっていたと翌日の朝ナズーリンから聞いた。


全く記憶が無かった。
そしてそんな嬉し・・いや、けしからん事をしていたのか。


・・・そしてその後で全力で聖さんに謝った。


聖さんはいいんですよ、とか言っていたけど
本当にすまないことをした。



・・・宴会一日目はこれで幕を閉じた。




つづけ