東方幻想今日紀 七十二話  明日は明日の風が吹くとは限らない

「リアくんっ、こうして二人でお出かけするのも久々だね!」


小傘が弾んだ声で、満面の笑顔で言う。


俺は今、彼女と招待状を配りに行っている。
・・で、招待状を届けて、帰り道を歩いていた。



「そうだね、あの雹の時以来だね。」


・・・そう、あの雹のとき、
一時の幸せな経験をしたとき以来だ。


「あっ・・ごめんね・・・あの時は・・。」

「あ、いやいや違うんだ、大丈夫、むしろ・・・。」

「むしろ・・?」


小傘が純真な瞳で尋ねてくる。


「・・ごめん、何でもない。」



抱きつかれた時胸が当たっていて嬉しかった、なんて言えるか。


良心が痛んで、純粋無垢な彼女に
そんな下卑たセクハラ発言なんて言える訳がない。



「そっか・・・わかった。その事は聞かないね。」


笑顔を崩さずに言う彼女の目は、俺の心に刺さった。


俺・・・最低だなあ・・・。
激しく自己嫌悪した。


彼女は何も悪気は無いのに。
嬉しくなって抱き付いただけなのに、
そんな目で彼女を見てしまった。


・・・とんだ下衆だ。
彼女に申し訳なかった。




「・・どうしたの、リア君・・?」

「ん・・・なんでもない・・。」



ごめん、小傘。
俺・・お前と一緒にいる資格なんて無いかもしれない。


「そっ・・・か・・。無理しちゃダメだよ?」

「うん・・ありがとう。」



彼女は純真で無垢で、優しい。
決して奥まで入り込もうとはしてこない。

それに引き換え、俺は・・・。



・・何でこんなに、自分が嫌なんだろう。



「ほらっ、いくよリアくんっ!」

「あ、うん!ちょっと待ってよ!」




彼女は少し離れたところで暖かい陽光を振りまいていた。


一足早い春は、すぐそばにあった。








彼女と談笑しながら歩くことしばし。
命蓮寺への帰り道、市場を突っ切って歩いていた。


聞こえるのは売り込みの声。

さほど人は多くなく、買い物には丁度良い。

でも、買うものも無いし、寄り道する訳にもいかない。


小傘は少しだけそわそわしていた。
・・多分、以前ここに一緒に来たのがここだからだろう。


「ああっ、どろぼう!!」


考え込んでいると、後ろからそんな叫び声が耳に入ってきた。


そして、幼い子供がすかさず俺と小傘の間をすり抜けていった。

その子供の手にはりんごが二つ。
そして、鬼気迫る目をしていた。

少しの間呆気に取られていたが、すぐに追いかけて捕まえた。

「あ、リアくん?」





「うわああぁああ放せ!はなせぇえ!!」

俺はその子を捕まえると、持ち上げて高い高いをした。


その子はじたばたと手足を動かす。
そして、その目には涙が浮かんでいた。

「リアくん、この子・・・。」
「・・わかってる。」


やっと追いついた小傘が心配そうに覗き込む。
彼女の息は切れていた。


持ち上げた少年はりんごを放さない。
必死にもがいていた。


・・その身なりを見るに、
生活に困って盗みをした事が容易に伺える。


窃盗は良くないことだ・・・でも。
その子に身寄りが無くて、
そうでもしなければ・・・生きていけないとしたら。





そうこうしている内に店主であろうおじさんが来た。


「あっ、このガキ!よくも泥棒なんてしてくれたな・・。
 どうもすいません、ありがとうございます・・・・。」

前半はその子に、後半は自分に向けて言われた。
その子はがっくりとうなだれていた。




「あ、違うんですよ、
 この子が品物の代金を払い忘れちゃったんです。
 ・・・このりんご、いくらですか?」


俺がこう言うと子供はもちろん、小傘も呆気に取られていた。


「・・・え?リアくん?」

俺は小傘に軽く目配せした。


「・・・銭二十円だよ。」
「はい。」


「・・・たしかに頂いたよ。」


俺はその子を地面に降ろして、お金を払った。

もちろん、そのお金は寺子屋のアルバイトでもらった配当だ。
自分でお小遣いとして自由に使える分である。


おじさんは少しだけ首をかしげながらも受け取ってくれた。


そして、元来た道を戻っていった。



・・ふう、何とかなった・・・。


「・・あんた・・どうして・・・?」

その子が不思議そうに訊く。


「・・・さあね、でも・・お店の人が困っちゃうからね。」

あのままだと、お店の人が損を被ることになる。
その子も、盗みの常習になるかもしれないからだ。


でも、それもある。それもあるけど・・・。




「ありがとう・・・じゃ、じゃあな!」

その子はぺこりと頭を下げると、一目散に走っていった。



「ふわ・・リアくん、優しいんだね・・・。」
「・・そんな事無いよ。」



・・・そう、本当の目的は、
自己嫌悪でぐちゃぐちゃになった頭を
浄化したかっただけなのかも知れない。


俺は彼女に笑いかけた。


「さ、いこ?」
「うんっ!」


彼女もまた、笑顔で返す。




市場をさっきの様にすり抜けていく。



やっぱりこういう村市場はいいなあ。
元居た場所のスーパーみたいな所とは全然違う。


のどかで・・・・


「おい、どういうことだこれは!」
「あ、すみませんすみません!」


・・・あんまりのどかじゃなかった。


歩きながらふと声がした横を見ると、柄の悪そうな
中年位のだぼだぼのズボンをはいている男が
見るからに若々しい店主の前で腕を組んでいた。


小傘はその様子を見ると俺の服の袖を握ってきた。
多分怖がっているのだろう。


しかし何処の世界にも苦情はあるものだなあ。
まあ、特にトラブルでも何でも無さそうだし、
見た目で人を判断するわけにもいかない。

ましてや恐喝ではないだろうな・・。


その会話を横で聞きながら小傘の腕をそっと引く。
行こう、の合図のつもりだ。


そんな中、お構い無しに横で苦情は続く。


「・・・この靴下を洗ったらこんなに縮んじまった。
 ・・・どうしてくれるんだよ?ああ?」

ちらっとその様子を横目でみると、男が持っていた靴下は
明らかに子供用の靴下だった。

サイズで言うのなら17cmくらいだ。
俺の靴のサイズが27cmだから相当小さい。


・・・直感した。こいつはクレーマーだ。


「すみません、どうしたらいいでしょうか・・?」

「そうだな・・謝罪文を書け。あと、この靴下は
 二千円で買ったものだ。その十倍の二万円を払え。」

「・・すみません・・ちょっとそれは・・。」

「わかんねえ奴だな!お前じゃ話にならねえ、上の奴呼んでこい!」




その柄の悪い男は言っている事が滅茶苦茶だった。
若い店員はオロオロしていた。

恐らく、目的は金。
恐喝そのものだ。



「えっ、リアくん?」
「・・ちょっと行って来る。」



普段ならこんな事はしない。

でも、今の俺はどうしても見過ごせなかった。
こいつがやってる間違いを正さずにはいられなかった。



「おい、何とか言えや。」
「はい・・・すみませ・・ん・・・。」


「そんな子供靴下を持って、何言っているんですか?」



俺は言った瞬間、自分の口を押さえたくなった。


慎重に対応すべき相手に、喧嘩腰で切り込んでしまったのだから。



「ああ?何だお前は?」


不機嫌そうに顔を歪めてその男は言った。



ここは冷静に対応するべきだ。
つまり、毅然とした態度で、そのままの姿勢で話すしかない。

ここで敬語になると、相手の雰囲気に呑まれてしまう。


「俺の名前はリア。通りすがりさ。」


どこぞの少年探偵のごとく言い放つ。

ただ、苗字が無い(思い出せない)からしっくりこない。


「ほお・・馬鹿にしてんのか?こっちは喋ってるんだよ。
 そこに勝手に割り込んできて偉そうに・・・。けっ、
 何だ、何に文句があるんだ?言ってみろや!!」


その迫力に一瞬ひるんだ。
冷や汗が背中を流れたが、気を取り直して返す。


「あなたの要求が無茶だと言いたいんです。
 買った靴下より小さいものを出して、縮んだと
 言いがかりをつけて、お金を要求するのは無茶という物では?」
 

俺がそう言うと、その男は少し間を空けて感心したフリをしてみせた。


「ほお。話せるじゃねえかガキ。その通りだ。
 しかも俺を相手にひるむ事無く言ってのけるとはな・・。
 ・・正義感の塊って奴か?立派なもんだ。」


・・なんだ?急に態度を変えたぞ・・。
にやけて自分の非を認めだした・・?


・・・全く意味がわからなかった。

もしかしたら、指摘されてその通りだと思ったのだろうか?
いや、その手の者では無さそうだ。

その乱暴で俗っぽい口振りから、その男があまり良くない者だとも悟った。


その疑問はすぐに氷解した。



「・・だがなあ、やるんなら、賢くやれや。
 せめて、連れぐらいは遠ざけておくべきだったよなあ?」


その男の嫌らしい笑みは絶頂に達していた。
完全に悦に入っていた。





連れ・・?







・・・まさか・・・・!!?






「小傘っ!!?」


「リアくん・・・私の事はいいからっ・・・!」
「喋んな!死にてえのか!」

「ぅ・・・。」


小傘は三人の大男に取り押さえられていた。
そいつらも似たような格好をしていた。

二人は腕を、もう一人は頭を押さえている。

そして、彼女の白い首筋には刃物が四本当てられている。



「ぐっ・・・。」


奥歯の方からぎりぎりと嫌な音がする。
これでは・・・迂闊に行動が・・・出来ない・・。


「はっ、こういう連中には取り巻きがいるのは
 今まで知らなかったのか?だとしたらめでてえよな!」


くそっ・・・完全に失念していた。
取り巻きがいる可能性をどうして考えなかったんだ・・。

そして、どうして彼女を一人にさせてしまったんだ・・!


「おら、どうするよ?殺したくないよなあ?」



「・・・やってみろよ・・。そんな事をしたらお前らを斬る。」

俺は刀を腰に構え、奴らを鋭く見据えた。



「・・思い上がんなよ・・?脅しで通用すると思ってるのか?
 こっちは本気で殺す気なんだぞ?おらっ」

「あっ・・・!!」


男が小さく呟き、小さな針か何かを小傘に向かって投げた。


少し間を置いて、取り押さえられている彼女の頬から一滴の紅い血が滴った。


「てめ・・・え・・・!!」




「ふはははははははっ!!!さあて・・・どうする?」



その男は底冷えするような笑みを浮かべて言い放った。



小傘は必死に口を動かしていた。
その口は、逃げて、とひたすら叫んでいた。




下衆・・・野郎・・・っ!!


唇が激しく震えていた。

絶対に許せない・・・。





・・・でも、もっと許せないのは・・・。


・・彼女を危険な目に合わせてしまった自分だ。




小傘は涙を浮かべながら、必死に口を動かして叫んでいた。


にげて、にげてと懸命に叫び続けていた。




つづけ