東方幻想今日紀 六十二話  解けてよかった

刻印が移動してゼロになるとどうなるのか
調べてみることにした。


折角なので刻印観察日記をつけてみた。

以下、俺の主観と一緒にお送りします。


一日目 特に変化なし。他の人にも移っている感じは無かった。

二日目 特に変化なし。今日の食事当番はナズーリンだったが、
一言も交わさなかった。ただこちらを気まずそうに見ては
視線を戻すだけ。本当に時間の問題なのだろうか。

三日目 特に変化なし。聖さんが刻印が薄くなってきた、
とか言っていたけど、
単に小麦粉がかかって白っぽくなっていただけだった。
そして、ナズーリンとは一言も話さず。

四日目 特に変化無し。そして今日もナズーリンと会話できず。
話題を振ってもそっぽを向かれて逃げられてしまった。
本当に嫌われた訳では無いんだろうなと不安になってきた。

五日目 特に変化無し。ナズーリンは廊下ですれ違っても
目を合わせてもくれない。と言うより影を背負い込んでいて
そこはかとなく空気が重い。早く何とかしたい。



ふう・・・日記をつけて五日が経った。
・・さて、そろそろ見返してみるか。

風呂上りに軽く牛乳を飲みながら片手に日記を開く。
やっぱ風呂上りは牛乳だよね!

何て書いたっけな・・・

どれどれ・・・・


「えふぉっ!!」


思わず牛乳が口から吹き零れた。


ちょっと待て。何だこのナズーリン観察日記は。
しかも刻印は相変わらず変化が無いし・・・。

これはひどい

本当に和解しなきゃまずいぞこれは・・・。


雑巾を台所から持っていってふきふき。
後で臭くなるんだろうなあ・・・・。

ちょっと聖さんに後で謝ってこよう。




・・・それにしても何でこんなにも
ナズーリンのことばっかなんだろう。


ただ友人とすれ違っただけなのに。


・・まあいいや。このままだと支障が生じるから和解しよう。
ムラサさんにはほっとけと言われてるけど、もういいだろう。


という訳で俺は彼女の部屋に行くことを決意した。

時計の針は六時を指している。
もう寝ている、なんて事は無いだろう。


どうしよう。いきなり話題に詰まる事が考えられるなあ・・。

そうだ、将棋を持っていこう。
もしかしたらあの戦法を使ってくるかもしれない。

そしたらいっぱい間が出来るから
話しやすい雰囲気になるだろう。

どんな戦法を使っても、
楽しんでくれるなら俺は喜んで耐えよう。

彼女の笑顔をあれ以来見ていない。
何としても、彼女を笑顔にしてやるんだ。






「・・・ふう。」

いざふすまの前に立つと緊張する。
気のせいか将棋盤と駒を持つ手が震えている。


いや、何を緊張してるんだ俺は。
ナズーリンはこの薄い壁一枚隔てて向こうじゃないか。


・・ここまで来たのだから・・・腹を括るんだ。


そう自分に言い聞かせ、出来るだけはっきりと言う。

「リアだけど、入ってもいい?」

・・言った後口を反射的に押さえてしまった。


・・・その声は、今までに無い程震えていたからだ。

・・どうして俺はここまで緊張してるんだ?
・・これ以上仲が悪くなりたくないから?

・・逃げ・・なのか?

友人と気まずくなるのが・・・そんなに恐れることなのか?


・・違う。
やっと・・・わかった。


俺はナズーリンと気まずくなるのが怖いんだ。
彼女は俺の知っている友人とは少しだけ、違う括りなんだ。



・・・だから、もうこんなのは嫌だ。
彼女と・・以前のような笑い合う仲になりたいんだ。


頼むっ・・・返事を・・してくれ・・・!!




程なくして、祈りは通じた。



俺が望んだ結末よりも、輝きを増して。




彼女は返事をするかわりにふすまを開けたのだ。
そして、少しだけ動揺したのだろう、瞳孔が開いている。


彼女は伏し目がちにゆっくりと言葉を繋いだ。



「・・・入ってくれ。話したい事が・・・あるんだ。」
「・・ありがとう。」






彼女は俺を部屋に入れた後、
俺を部屋に残して階下に下りてしまった。

どうしたんだろうと思って待っていると、
彼女はお茶の入った湯飲みを二つ持ってきた。

彼女が階下に下りてから早三十分が立っていた。
明らかにお茶を入れるだけにしては時間が掛かり過ぎだろう。

何か他の事をしていたのだろうか・・。


そんな事を思いつつ、
彼女に渡された湯飲みの中のお茶を見た。

・・茶柱が立っていた。

・・もしかしたら・・俺の為に・・・。


いや、考えすぎだな。


「・・ありがとう。」
「ふっ、お礼はお茶に言うんだな。」


・・・え?

思わず口が開きっぱなしになってしまった。

ここでまさかの電波発言。
ナズーリン・・・ここまで憔悴していたのか・・・。

・・でも、彼女と交わした久々の会話。

・・・そして、その声はどこか遠くで、嬉しそうだった。
心なしか、弾んでいるようにも聞こえた。


どうしてこんなに幸せなんだろうか。
彼女の嬉しそうな声を聞けただけで・・・。


それにしても将棋盤を持ち出すタイミングがつかめない。
部屋の外に置きっぱなしなんだけどな・・・・。


「・・・私は、この五日間というもの、暗かっただろう?」

不意にナズーリンが話しかけてきた。
・・・?様子がおかしいな。

声のトーンは高いもの、何だか無理している感じだ。

「・・・うん。」

無難に相槌を打っておいた。


彼女はその不自然なトーンを保ったまま続ける。

「・・・そう、あれは全部、演技だったんだ!」


爛々と目を輝かせて言ったその言葉に激しい違和感を覚えた。

・・・ナズーリンの様子が間違いなくおかしい。
一語一語に何か含んでいる。感情を抑えている。

・・・一体どうしたというんだ彼女は・・・。


「そうだな・・・まず驚いたのが、
 君がそっくりその通りに騙された事だな、
 ふふっ、君は本当に馬鹿だよ。
 私が本当に落ち込んでいると思うなんて・・・。」


!?彼女がこんなに饒舌なのは初めてだ。
まるで機関銃のように良く喋る。

しかも、後半はかすかに声が震えていた。

・・・おかしい。絶対におかしい。

「私の完璧な演技にこうして騙されたというわけだな、
 全く、君は本当に・・・本当にっ・・・・・ぅっ・・・」


とうとう彼女はしゃくりあげた。
こんな姿の彼女は初めて見た。

今まで涙を湛えた目の彼女は見たことはあったが、
しゃくりあげて尚まだ喋る彼女など、
いままで見たことがあるはずが無かった。


「リア・・・私は・・・もう、どうしていいか・・・
 ・・・わかんなく・・て・・・」





「ナズっ・・!」


「ふぁっ・・・!?」



・・この時何で俺はこんな事をしていたんだろうか。
衝動に駆られていてもたってもいられなかったのだろう。


気が付くと俺は彼女の体を力の限り抱きしめていた。


彼女の顔は見えないが、動揺していたのだけはわかる。
俺の肩に落ちる彼女の涙がそれを物語っていた。


早鐘を打つ心臓の鼓動が、どちらのものかもわからない。

・・ただ、温かい彼女の体温だけは良くわかった。





心臓の鼓動が少しだけ収まるのを感じると、
俺は彼女から顔を離して顔が見える位置まで動かした。


わずかに間があり、俺の指は彼女の涙を拭っていた。


まだ体が温かい。顔に至っては熱いほどだ。
心臓の鼓動も自分でわかる程度には速かった。


「リア・・・・」

彼女の目はとろんとしていて、いかにも瞼が重そうだった。
そして、その目にはいっぱいの幸せを含んでいた。

「ナズ・・・」

お互いに、それしか言葉が出てこなかった。
言いたい事がたくさんあるのだが、
すべて喉本に引っかかって出てこない。


・・ただ、頭がボーっとして、
これ以上何も考えられないのは確かだ。


この時間はが永遠に続くのではないかと
思わず錯覚してしまいそうだった。






しばらくの無言の時間が続く。






・・最初に沈黙を破ったのはナズーリンだった。






「・・きみは・・ほんとうにばかだな。」







やわらかな笑みで紡いだ、彼女の言葉である。



つづけ