東方幻想今日紀 六十一話  誰も悲しませたくないんだ

「・・・あなたと私に、この『五』の刻印。
 命蓮の刻印は跡形も無く消えていました。
 そして、他の者にはこの刻印はありませんでした。」
「・・・。」
普段のおっとりとした言動とは裏腹に
淡々と、しかし一語一句はっきりと述べる聖さん。
どこか力強く、だがどこか不審そうな口調。

まるでどこか遠くに引き込まれるようだった。

「これは・・どういう意味かわかりますか?」
「・・ごめんなさい、わかりません。」

それが一体どういう意味を持つのかはわからない。
でも、俺と聖さんにだけ刻印が現れている・・?

命蓮さんの刻印は消えているからもう大丈夫だろう。
・・ということは。

「勝手に消えるから安心って事ですか?」
「全然違うよ馬鹿。」

ぬえの激しい突っ込み。
言い方きついよ。やめてよ。横槍が刺さったよ。


「お前なあ・・・これは恐らく感染だ。
 まだ憶測の範疇だが・・・これだけ状況が揃えば間違いない。
 数字が一つ減って、刻印が入る人が一人から二人に移る。
 それも、命蓮から、お前と聖。どう考えても、触れ合った時間が
 長い奴に刻印が移っている。その証拠にナズーリンには無い。
 じゃあ、次に数字が減る時は何人になると思う?」

「・・三人?」

俺が自信なさ気にそう言うとぬえは軽く叱咤した。
「頭を働かせろ!二人から二人だから四人だろうが!」

あ、そうか。二の二乗か。

・・ところでさっきから視界の隅にもナズーリンが映らない。
一体どうしたんだろうか・・・。

ちらちら後ろを見てると、ぬえが怒ったように指摘した。

「・・おい。さっきから何私の後ろの方に視点を反らしてるんだ。」
「・・あ、ナズーリンは?謝っておかないと・・。」

「ああ、あいつならさっき泣きながら自室へ戻ったぞ。」
「!?」

しまった。追いかけて謝ってこないと・・!

慌てて立ち上がろうとするとムラサさんが制した。

「今はそっとしてあげて。」
「何でですか!?嫌われたのに・・。謝っておかないと・・。」

ムラサさんがやれやれ、といったような表情でため息をついた。

「ねえ、鈍いって罪だと思わない?」
「え?何の事ですかいきなり?」

突然ムラサさんが意味のわからないことを言い出した。

「・・ナズはリア君の事が嫌いになった訳じゃない。
 でも、今はそっとしておいて。時間が解決するから。」

諭すように優しく言うムラサさん。
どこか説得力のある言葉に、俺は黙ってしまった。

「・・わかりました。」

ナズーリンが俺を嫌いになった訳じゃない。
その言葉は俺の疲労と落ち込んだ気分を解消させるには
あまりにも十分すぎた。


「ん、解ればいいの。で、続きどうぞ。」

あ、そうか。続き続き・・。


「で、そもそも何だっけ?」
「お前そろそろしばくぞ?」 

やだなあぬえは暴力的で。

「刻印の数字が増えれば増えるほど、
 刻印が打たれる奴が多くなるっていう話だよ。」

なんだかんだ言って教えてくれるぬえは典型的なツンデレである。

・・・ん?という事は・・。
数字が大きいのなら一気に膨れ上がるんじゃ・・?

ふとぬえを見ると同じ考えに至ったのだろう、
何かに気付いたような顔をしていた。

「おい・・・という事は・・数字が大きくなると
 相当な数の人妖に刻印が入るんじゃないか・・?
 例えば・・百だと・・・ええと・・・・」

あはは、計算出来ないのに言うなよ。凄い数字になるのに。
二の百乗って事だな・・。
普通の人にはまずこんな計算出来ないだろうなあ・・。

「百二十六穣七千六百五十予六千二垓二千八百二十二京
 九千四百一兆四千九百六十七億三百二十万五千三百七十六。」

数字に直すと1267650600228229401496703205376。
・・・って・・・えっ?

「はぁっ!?」「え?」「何ですか今の・・?」「おお・・。」

うそ、こんなのとっさに何で計算できたの・・・?
二の十乗=1024までは憶えてるからわかるけど・・・。

客間の皆がどよめく。正直自分もびっくりだ。

「リア君・・・何それ?」
「うわあ・・・人間の計算能力じゃないよこれは・・。
 しかも合ってるよ。・・一体何が目覚めたの?
 この年で目覚めるのはソッチ系の事にして欲しいんだけどなあ・・。」

丙さんまでちょっと驚愕していた。
こんなの一瞬で答え合わせするな。あんたも普通じゃないよ。
というか俺にそんな目覚めを求めるな。もう半分・・いや何でもない。 

「これは・・・何なんですか?数字の入った念仏・・?」
「それは・・・呪詛か何かですか?」

成る程。単位を知らないのか。
いや、もしかしたら幻想郷にはこの単位は無いのかも知れない・・。
あ、でも丙さんは普通に知っていたからやっぱりあるのかな。

「ああもう!お前が凄いのはどうでもいいよ!
 と、とにかく、大事なのはそこじゃないだろ!」

ぬえが悔しそうに声を上げる。
いや待てお前。今ので悔しさを感じるのはおかしいだろ!

でも、言ってることはもっともだ。

えーと・・でも、何が問題なんだっけ・・。

・・あ、刻印が入るとどうなるのかだ。

「・・ねえ、刻印が入るとどうなるの?」
「そんなもの私には知らない・・・が、移る度に
 だんだん数字が減っていく可能性がある。つまりだ・・
 零(れい)になったらどうなるのか・・という話だ。」

そう、刻印が移って行ってゼロになっても何も起こらなければ
この件は放っておいてもいい事になる。

・・とりあえず、次は四人で数字は四。
その次は八人で数字が三・・。
そしてまたその次は十六人で数字が二・・。

最終的には六十四人がゼロになるのか・・・。

もし何も起こらないのであればたいした事はない。
しかし・・・もし仮に死ぬのであれば・・・。

その人数分の命が失われることになる。

しかも、密接に関わっている人から順に
その刻印が移るとしたら・・。

刻印で死ぬ人は必ず、大切な誰かがいることになる。


そして、必ずその死んだ人の数だけ、大切な人を失う人がいる事になる。


その人は考えたくも無い程のトラウマを植えつけられる事になる。
死んだ人は六十四人だが、悲しむ人も六十四人。

・・考えるとぞっとした。

この仮説が本当なら、何とかして止めなくてはならない。

・・この刻印はあの唐獅子に咬まれたから植えつけられたのだろう。


・・・いや待てよ、違う。


刻印のことは文献には載っていなかった。
つまり、刻印と異変の関連性は無い・・・?

もし唐獅子が刻印を植えつけたのなら、
シャクナゲさんも・・・刻印を植えつけられたはず・・・。
何故なら、満身創痍の命蓮さんを彼は宿に運んだからだ。

それが本当なら、刻印はシャクナゲさんと俺だけになる。


もしシャクナゲさんがその刻印を彼に植えつけたのなら・・・・
聖さんと俺に・・・刻印が打たれるのも・・・納得・・・


もしも・・・もし・・・





「おい、リアっ!?どうして泣いているんだよ!おい!?」


大好きなシャクナゲさんが・・・黒幕か・・?
でもっ・・でもっ・・・・!!

あの人は俺を救ってくれた・・!
命の恩人だ!あんなに優しくしてくれた・・・!
頭の怪我を治療してくれた!命蓮寺に案内してくれた!

何よりも・・・命の大切さを教えてくれた・・!



あの夜、彼がいなければ俺は死んでいた・・!
彼は命の恩人なんだ・・!!

彼に報いたかった・・・!
恩返しがしたかった・・・!


「嫌だ!!そんなの絶対に信じないっ!」

「落ち着いてくださいっ!!」

「・・はっ!?」


寅丸さんの叫びで俺は我に返った。

気が付くと客間はシンと静かになり、
俺の足元の布団の布は円く微妙に色が変わっていた。


思わず俺は泣きながら叫んでしまったらしい。

「・・ご、ごめんなさ・・・」
「いいのです。もう落ち着きましたか・・・?」

「はい・・・。」

そうだった。まずは落ち着かないと・・。
そして、刻印がゼロになったらどうなるかを確認しないと
判断の付けようが無い・・・。

誰も疑いたくない。



だから、まずは調べる事から始めよう。


明日から刻印の様子を見ることにしよう。
刻印の観察日記としゃれ込もう!(無理矢理)



この時の俺は完全に妖怪化の事を失念していた。


つづけ