東方幻想今日紀 六十´話

・・彼がここに運ばれてもう十日になるな・・。

掛け時計に横目をやると既に八時だった。

彼は一向に目を覚まさない。
昼にも三回程彼の様子を見たが、目を覚ます様子がない。
夕方も二回程様子を見に行った。やはり彼は寝ていた。

ただ無表情に、凍ったように寝ていた。

そんなに頻繁に来ても、彼が目を覚ますはずも無く。
だが、やはり様子を見に行ってしまうのだ。



・・彼が他の場所で急に倒れて寝込んだことは何回もあった。
それは仕方の無いことだ。彼の特徴かもしれない。

しかし今までなら数時間で目を覚ましたし、
何よりも寝てる際の顔は常に何らかの表情を持っていた。

時々うなされている時もあれば、
安堵の表情で落ち着いている時もある。
何か寝言を言っている時もあった。

布団で寝ているのに野晒しじゃ寒い、と呟いた時は
思わず笑ってしまった。

いかにも幸せそうに笑顔で寝ている時もあった。
私の夢を見てるといいな、という事も考えてしまった事もある。

大抵そんなこんなしているうちに彼は目を覚ますのだ。


何て馬鹿馬鹿しい事だろうか。
あろうことか他人の夢に自分が出てると良いなと考えるなんて。


そもそもこの十日間というもの、
たびたび心に穴が開くように虚無感が襲ってくることがあった。


私は一体どうしてしまったんだろうか。


そもそも人間は嫌いだったはずなのだが・・・。
彼が妖怪化しているからその影響なのか・・?


いや、そんなはずは無い。
会った当初から彼には妙な感情を憶えていた。

人間嫌いの私が宿に困っている彼を放っておけなかった。

有り得ない事だ。普段なら突き放して門前払いなのに。


一体どうしてだろうか・・・。

考えても始まらないか。


このもどかしさは何か行動して忘れてしまおう。

とりあえず最後に彼の様子を見てみよう。
今日はこれで寝ていたら諦めよう。


私は客間に再び立ち入ることを決意した。
夕食の少し後の出来事だった。




・・・どうせ目を覚ましている訳も無いだろうな・・・。

少し陰鬱な気持ちで階段を上る。
彼が寝ている客間は階段を上ってすぐの所だ。


客間のふすまに手を掛けた。

期待半分、諦め半分でふすまをゆっくりと開けた。




・・そこにはいつもの彼がいた。

少し挙動不審に周りを見回している。
きっと起きたばかりなのだろう。


・・しかし、そんな事は今どうでも良かった。

間髪入れず彼と目が合った。

彼は少し動揺したような様子で、私を見つめた。
そして、ゆっくりと言葉を発した。

「ナズー・・・」
「・・おい大変だ!リアが目を覚ましたぞ!!」


叫ばずに入られなかった。
彼が目を覚ましたのだ。

十日の間を置いて、彼は遅い朝を迎えたのだ。


気が付くと、すぐに階段を下りて
皆にその事を伝えようとしていた私がいた。

そして、私はすぐに階段を上り直し、また客間に飛び込んだ。



彼を再び見たとき、私の中で何かが弾けた。

気が付くと私の両の手は彼の右手を握っていた。
息が切れていたのか、
自分の肩が激しく上下していたのがわかった。

目頭が熱い。

「えっ・・!!?え・・・?」

彼は素っ頓狂な声と共に激しく動揺していた。
頬は紅潮し、確実に平静な者のそれでは無かった。


「リアっ・・!!!よかった・・・!
 このまま目を覚まさないかと思っていたんだ・・・!
 私はっ・・・私はっ・・!!」


もっとも、それは私もだろう。
考えるより前に言葉が先に出てきたのだから。

しかし、肝心の言いたいことが出てこない。

ずっと心配していたこと、彼が無事で嬉しかったこと、
そして、最初に君が起きているのを確認したのが私であること。
それが私にとってとても大きな喜びであること。

・・何一つ出てこなかった。

ただただ、彼の手を強く握ることしか出来なかった。


「ねえナズ、リア君困惑してるから手を離してあげたら?」

不意に後ろからした声で私は現実に引き戻された。
声の主はムラサだ。

・・という事は・・・皆にこんな所を見られてしまった・・!?

何故皆がここに!?

・・いや、よく考えたら私が呼んだのだった。

今日の私はつくづく普通じゃない。
こんな簡単な事も失念していたとは・・。

ひとまずこの状況の誤解をとかねば・・・!

彼と一刻も早く離れなくてはならない。
そう、さっきまでの様子を無かったことにしなくては・・・。



「わっ・・・君なんかの手を握ってしまったよ・・。」


・・・私は自分らしくもなく、深く考えずに放った
この言葉を心の底から後悔することになった。


ああ、私は・・・最低だな・・。
衆目に見られた恥ずかしさで、心にも無い事を言ってしまった。




・・それは、彼のすべてと、私の全てを否定する言葉だった。



その時の絶望的な彼の目を、私は忘れることは無いだろう。



程無くして、彼と小傘が抱きしめ合い
再会を喜び合っている姿が涙で霞んだ私の目に入った。

彼はやはり困惑しながらも、その状況を受け入れていた。


彼は私が自分のことを嫌ったと思うだろう。
そして、小傘とこうして抱き合っている。


吐き気がするほど自分を憎んだ。
何であんな事を言ってしまったのだろうか。


妬み、憎悪、自己嫌悪。そんな汚い感情が私の中で濃縮され、
ただドス黒い感情が私を包んでいた。



・・・もう死にたかった。



耐え切れず、自分の部屋に戻った。

まだ八時だが、布団を敷き、電気を消して横になった。
嬉しいはずの再会なのに、どうしても喜べなかった。


枕には熱い雫がにじんでいった。




彼とその後普通に話せるようになったのは、少しだけ先の話だ。