東方幻想今日紀 三十九話  あの子は何なんですか

今、俺は寺子屋で鬼ごっこをしています。
鬼はオッドアイの男の子。
何故か片手で十分なはずの
制御リストバンドを両手につけていました。

そして、その子は俺を追っかけています。

そう、俺は必死に逃げていた。
全力で生徒と接する。そうしようとさっき決めたんだ。

・・・で。

「ちょ、ちょっと待って!!!!
 何で俺なの!?そしてどうしてそんなに速いの!?」

「・・・追いかけやすいから・・。」

その子はめちゃくちゃ速い。
何故か一番最初に俺を追いかけてきた。

あれ、あのリストバンドって
運動能力を人間並みにするんじゃないの!?

はっきり言って俺一般人よりも相当速いはずなんだけど!

最初80mほど離れていたが、今振り返ると
もう10mも無かった。このままだとあと数秒でつかまる!

何だあれ。絶対100m9秒台だろ。化け物じゃねえか。
ウサイン・ボルトと変わんないよ。どんなだよ。

とにかく考えている暇は無い!
一旦止まって、大きく右に踏み出した。
相手が右に行く気配を感じた。

今だ!!

姿勢を低くして、右足で地面を思いっきり蹴った。
その瞬間俺は大きく左後ろにバックステップした。

その子は急な方向転換についていけず、転んだ。

よし、転倒しただけだ!怪我されたら困るからね。

その間にさっき来た方向に全力ダッシュ
とりあえず距離を稼がないと!

しかし・・どうしてあの子あんなに速いんだよ。
全力で走ってもそれをかなり上回るペースで走れるなんて。

こっちはへとへとになってきちゃったよ。
そりゃそうだ。今も全力で走っているからなあ。

リストバンドがあるはずなのに・・一体どうして・・。


下に目を落すと答えはすぐに見つかった。
そう、片方リストバンドが地面に落ちてた。

とりあえず回収!隙見て渡そう!
走りながら拾う。そしてすぐ後ろを振り返った。

もうあと15mくらいの所にいた。やばい!

というか何であのリストバンド片方着いてるのに
あんなでたらめな速さで走れるんだよ!
しかも息切れする様子が全く無い。

・・・身体能力だけで体力は変わらないとか。
いやでもスタミナも人間並みになるよな・・・。

その子が着けていたものは先生が
見せてくれたものとは違う柄が描かれていた。
つまり、生徒ごとに変えてあるのだろう。

自殺行為かもしれないが、気になったので
どれくらい効果があるのか着けてみた。

素早く右手にはめる。

「っ!!?」

がくんと膝が折れた。一気に視線が地面に変わった。
俺は即座にその場にしゃがみ込んだ。

「・・・なんだ・・これ・・・・。」

力が一気に抜ける。というか力が入らない。
しゃがみ込んでいるのが精一杯だった。
全身の筋肉が弛緩しているみたいだ。

呼吸もままならない。ただかすれた息が口から漏れるだけだ。

「・・どうしたの?」

ざあっ、とブレーキをかける音と共に
頭上から不安そうな声が聞こえた。

喉から搾り出すようにして声を発した。
「・・・これ、取ってくれないかなあ・・・?」


それから少しして。

俺はそのオッドアイの少年にリストバンドを取ってもらい、
タッチされて他の生徒を追いかけても上手くつかまらず、
そのまま鐘が鳴り、授業が終わった。

そう、誰もタッチできなかったのは
ずっと前半全力疾走していた疲労が、
あのリストバンドをつけたことでトドメになったのだ。

だからくたくたでほとんどランニングで追いかけていました。

というかあの生徒やばいな。一個であんなになる物を
二つも着けてやっと人並みだなんて。
きっと、話にだけ聞いた稀に見る強力な妖怪の類だろうか。

そんな事を頭の片隅に置いて
残りの授業を手伝ったり見学したりした。


何だかんだで今日の授業課程が全部終了した。
今俺は朝の答案の丸付けをしています。

筆を動かしながら慧音先生に鬼ごっこの経過を伝えた。

そしたら彼女は苦笑して、
「いや、何というか・・あれを着けるとどうなるのか
 わかっていたんだよな?だとしたら馬鹿なのか・・?」

とか言われた。
ええ馬鹿ですよ。興味本位ですよ。
そしたら案の定酷い目に遭いました。
というかここに来てから馬鹿って
凄い回数言われてる気がする。主にナズーリンから。

・・・そして、気になっていたことを訊く。
「あのオッドアイの子、何者なんですか?」

慧音先生は少し言いよどんだが、率直に話してくれた。
「彼か・・・。彼は実は捨て子でな・・・。
 所在や親はおろか、種族すらわからないんだ・・。
 数年前、ここの近くの村で発見されたのだが、
 拾って育ててくれる人を次々に殺してしまったんだ・・。」

想像もしなかった悲惨な内容に思わず固唾を飲んだ。

慧音先生はまだ続ける。

「そして、彼は近くの教養のある大妖怪に引き取られて
 大切に育てられたんだが・・。
 数ヵ月後にその大妖怪も消息を絶ったんだ。
 後には情緒が安定し、素直な性格になった捨て子がいた。
 勿論、書き置きがあったから
 恐らく失踪だ、と言われている。でも、彼は理由も無く
 養っている子を放り出して姿を消すような者ではなかった。
 それに、書置きの内容も『用事を思い出した』のみだった。」

だから、何があったのかはわからないが、その捨て子が
先ほど鬼だった生徒だ、と先生はそこで話を切った。

「・・・何もわからないんですよね?
 その生徒と一緒二授業を受けている生徒に何かあったらと
 心配では無いんですか・・?」

ひょっとしたら凄く危ないのではないか。
もしも、その子が急に暴走し出したら・・?

もしそんな事があったら・・・。

俺の心配そうな表情を察したのか、先生は笑顔で

「生徒一人を御さず、信用しないのは教師ではない。
 私は一人の教師。それだけだ。何も心配は要らないよ。」

「・・!」
胸が打たれたみたいだ。

・・・この人は・・・本当に凄い。
いや、凄い、何て手垢の付いた言葉は似合わない。
自分は彼女の偉大さを表現できる言葉が手持ちに無かった。

自分を犠牲にする、でも無い。
生徒を優先する、でも無い。

この人はどんな生徒でも完全に信頼しているのだ。
その姿勢は口調や堂々とした発言からも汲む事が出来る。

どんなことを言ったら良いかもわからず、
ただ笑顔を返して、そのまま採点を続けた。

でも、下手な事を言うより良かったかもしれない。

程無くして採点が終わった。
今日はこれで帰ることになる。
外も暗くなってきた。五時くらいだろうか。

最後に先生がねぎらいの言葉をかけてくれた。

「お疲れ様、ではまた明日も来てくれ。
 筆の速さが上がったな。感心感心。」

「ありがとうございます。」
褒められた。褒められるとやっぱり嬉しいな。

荷物をまとめていると先生が帰り道を心配してくれた。
俺ははにかんで大丈夫ですよ、と答えた。

清清しい気分で、荷物を持って寺子屋を後にした。

もう道は暗いはずなのに、少しだけ明るく思えた。


つづけ