東方幻想今日紀 百四十話  今日という日は二度と来ない

結局、あの後命蓮寺に戻って、
おいしい卵焼きをぱくつきながら響子さんの話を聞く。
橋を銜えながら聞いているとムラサさんに箸の先端を弾かれて注意された。

こうやって注意してくれりゃ痛くなくて良いのに。
こういう時、ナズーリンとかはどうして喉の奥に箸を押してくるかね。

慌てて後ろに下がらなきゃ喉にぶっ刺さる。
普通の人間ならめっちゃ痛いだろう。


・・・まあ、口で言ってくれても良いんだけど。


どうも、妖怪っぽくなってきてから扱いが粗くなってきている気がする。
ある意味、同族として認められたのかもしれないが。だとしたら嬉しいな。


・・・それはさておき、響子さんの話はなかなか不憫だった。


幻想郷とは、現代において忘れられた者が来る所。
現代においての妖怪の死は、必要がなくなるか忘れられる事だという。

山彦は、全て彼女が返しているそうなのだ。
ところが、山に声が反射するというもっともらしい説明で、
彼女の存亡は一気に危うくなってしまった。

結局、彼女は現代で死ぬ前に、辛うじて幻想郷に逃れたのだ。


・・・つまり、俺の言ったことは幻想郷では迷信だ。
むしろ、そうでなくてはならないのだ。

そう考えると、幻想郷には常識を持ち込んではいけない理由が分かる。

文明化の先には、失うものが沢山あるのだ。


そんな俺は、ここでは浮いた存在なのだろう。
現代の常識を持って、生き永らえる。

外来人が生き残れる報告が過去の書物に載る程度しかないのも頷ける。

そうしないと、現代化が一気に進んでしまう。
幻想郷は、ある意味人間を食べる妖怪が居る事で
うまくバランスを取っているのかもしれない。


これは・・・本の内容もきちんと考えて書かないと・・・まずいな。
いわゆる、ある種の妖怪の危機に陥らないように、慎重に書く必要がある。

つまり、現代の科学には一切触れてはならないのだ。


・・・よし、これで一気に執筆にやりがいが出てきた。頑張ろう。


「響子さん、あの山に向かって叫んでいい?」
「きっと、返ってくるから。」

開かれた障子窓を指差しながら、冗談めかす。
響子さんは戸惑ったようにして笑う。


・・・妖怪がいない幻想郷は、柄だけの傘のようなものだ。


寺子屋でも、きちんとそれを念頭に入れて教えておかなくてはならない。
今日寺子屋に行って、きちんと復帰したことを伝えよう。


・・・時計を見ると、もう朝の七時ごろになっていた。


「・・・あれ、まだこんな時間?」


思わず、素っ頓狂な声を上げてしまった。
正直、普段なら起きて少しするとこの時間になるんだけど・・・。


「・・・早起きは三文の徳という言葉は知っているかい?」

得意気に指をピンと立てて、誇らしげに言うナズーリン
正直、彼女は衒学的ではあると思う。

それが「ナズーリンだから」嫌いではないのだが。


「・・・リアさん、こういう時間に起きると時間が得だって事ですよ。
 だから、毎日この時間に起きて、善いことを一つするのです。」

「ちょっと・・・この時間は・・・。」

一輪さんが笑顔で付け足すように言う。
正直、毎日この時間に起きるのは無理がある。


そんな事を思いつつ、最後の一口を食べ終えた。



・・・よし。もういい時間かな。


食器を下げると、俺は立ち上がって広間を出た。
玄関戸を出て、寒い空気を振り切るように走り出した。



・・・そう、足は自然と寺子屋に向かっていたのだ。



三ヶ月ぶりの、先生のお仕事。
ただ、事前に何も言わずに行くから、今日お仕事ができるかどうかはまた別の話。










「おはよーございますっ!!」
「おはよう。」


寺子屋にたどり着くと、慧音先生は驚いたように、
でも笑顔を浮かべて返事をしてくれた。


・・・右腕については、やはり彼女は何も尋ねなかった。
でも、チラッと見て、一言を言ってくれた。


「・・・早速、二時間目の授業をしてもらうぞ。
 この紙を、一時間目によく読んでおいてくれ。お前ならできる。」

そう言って、そっと一枚の紙を渡してくれた。
・・・ありがたく受け取って、二つ折りにして懐に入れた。


「・・・さ、皆に会いに行こう。」
「・・・はい!」








道の経緯は、彼女に包み隠さず伝えてある。









「あ、リアくんだ!おはようっ!!」
「・・・穿子、おはよっ。久しぶりだね!!」

「おはよリアくん!」
「おはよう、やはず!」

「・・・あれ、腕はどうしたの?」
「うん、転んじゃった。」

「リアくん、弱すぎー!!」



教室に入ると、みんながわっと話しかけてくれた。
中には抱きついてくれた子までいた。


こういうとき、先生をしてて良かったとつくづく思う。


・・・何よりも、みんな目の前であんなに怖い光景を見せたのに、
以前と同じように、楽しげに接してくれている。


・・・でも、みんながそうかと言えば、そんなことは無かった。



「・・・よく、平気な顔で戻ってこれたね。」
「・・・。」

あまりにもきつい一言に、返答に窮してしまった。

正論だった。

それもそのはずだ。

・・・目の前で、道の襟元を掴んで、罵声を浴びせながら揺さぶったのだ。
何かが憑いたように、感情に任せて、そんな事を教室でやらかしたのだ。

・・・そんなことがあってから、自主的に寺子屋をお休みした。


「こら!何でお前はそんな事が言えるんだよ!せっかく戻ってきたのに!」
「・・・うるさいな。目の前であんなもの見せられて、怖くなかったのか?」

二人の少年が口論を始めてしまった。
いつもの俺なら、ここで止めていた。



・・・でも、止めるに止められなかった。
どうやって止めたらいいのか、全くもってわからないのだ。

その様子を、いたたまれない気持ちで、見ていた。


「はあ!?あれは道が悪いんでしょっ!!?」


少年がぴしゃりと言い放ったその一言で、教室内がしんと静かになった。
水を打ったように、静まり返ってしまった。

・・・もう、胸が苦しくて仕方が無かった。


・・・吐き気までしてきた。



その瞬間に、ガラリと引き戸の音がして、慧音先生が入ってきた。


「・・・みんなおはよう。さあ、席について。ほら、リアもだ。」

ぱんぱんと手を打って慧音先生が入ってきた。
みんなはざわざわとしながら席に戻った。


・・・我に返った俺は、いそいそと教壇に上がって慧音先生の横に立った。


彼女に助け舟を出されたのだ。
あのまま、先生が来なかったら・・・。


そんな俺をよそに、
先生は黒板に今日の授業内容を書いて、てきぱきと説明を始めた。

相槌として、俺はオウムのようにかくんかくんと頷いていた。いつもの朝だ。



朝の会が終わると、俺は職員室に戻った。

職員室といっても、慧音先生と二人で使っている小さめの部屋なのだが。
適当に採点を済ませると、俺は授業の紙に目を通した。

俺が次に教えるのは歴史。

かなり難解なので、いかにして噛み砕いて話すか。
たとえ話を色々考えつつ、お茶をすすった。



こぼした。







「・・・ふう、やっとお昼か・・・。」
「お疲れ様、随分と頑張っていたな。」

歴史が終わり、机に突っ伏していると、慧音先生がねぎらってくれた。


早起きした分、一日というものが本当に長く感じられる。
早起きは本当に得なんだろうか。


・・・突っ伏したまま鞄をさぐると、ある事に気が付いた。


「弁当を忘れた・・・。」

さりげない不幸という物は続くようだ。


慧音先生は苦笑いだった。

「まーたお前は・・・これで何回目だ?」
「わかんないです・・・。」


・・・結局、また慧音先生のお弁当を少し分けてもらうことになった。

やっぱり、先生は優しかった。
・・・俺はまだ、先生の器じゃないのかもしれない。

次俺が受け持つ授業は、歴史だった。やめてくれ。





・・・授業が全て終了して、放課になった。
生徒は解散、慧音先生にも後は全部やっておくと言って、教室に残った。


教室に残って、生活日誌を読んでニヤニヤしていると、戸が叩かれる音がした。
見るのが日課だし、悪いことはしていないはずなのに、身体がビクンと動いた。


・・・まだ、誰かいるのかな・・・。


「どうぞ。」


声を戸の方に投げると、引き戸はゆっくりと開かれた。


思わず、視線が釘付けになってしまった。



薄桃色の長髪、狐の少女がそこにいた。



「野孤・・・。」


反射的に立ち上がって、彼女に近付いた。
思えば、彼女はもう寺子屋で元気に生活していたのだ。

彼女に会うのは、もう三ヶ月ぶりになる。


・・・でも、いったいどうしたんだろうか。


「・・・先生、お帰りなさい。」

「っ・・・!!」





気が付いたら、彼女を思い切り抱きしめていた。
周りから見たときの事なんか、一切頭に無かった。

・・・彼女が、喋ったのだ。

一年ぶりに聞いた、彼女の声は、変わっていなかった。


「野孤、ただいま・・・!!」

「・・・うん、お父さんも帰ってきて、今、すごく幸せなの・・・。」

「そっか・・・よかった、よかった・・・。」



どうやら、俺はひとしきり泣いていたようだ。
彼女の、あまりの報われなさに、何度絶望したことか。


今は亡きエルシャさんや、小春。
彼女らに、幸せを突き崩されてきたのだ。


でも、彼女に笑顔と声が戻ってきた。
そんな野孤は、もう無敵だった。


・・・おかえり、野孤。


野孤も、ほほに涙を浮かべていた。







・・・ところで、立ち上がった時に本日二度目の湯飲みが倒れて、
生徒の生活日誌がうふふな事になったのは、内緒だ。



もう二度と、作業をしながらお茶を飲むのはやめようと思いました。ええ。






・・・命蓮寺に帰り、ご飯を食べ終えると、本を書き進めた。
おおよそ、半分を書き終えたところだ。



・・・まだ、題名が決まっていなかった。


まあ題名なんて、書き上がれば寝てても決まるものだ。



・・・今日は、もう寝よう。長い一日だった。




・・・明かりを消して、冷たい布団にもぐりこんだ。







眠りに落ちるとき、こんな毎日が、ずっと続くと思っていた。



今日が、明日も、あさっても。


ずっと、ずっと続くんじゃないかと思っていた。


今日が、明日も来ることはありえないのに。





つづけ